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寒い日は動きが鈍い・・で思うこと [雑記事]


今日は寒いです(涙)

今日の都心はみぞれ交じりの空模様です。

私の計測では、外気温は2度でした。


個人的なことですが、
このような日は、予め予定がなければ、
暖を取りながら過ごしたいと思います。
・・みなさん、そうですよね。

寒さの厳しい地域にお住まいの方には、
甘いぞ!と言われてしまいそうですが、
みなさんは凄いです!・・本当にそう思います。


そんな甘い私が寒い日に思うことですが、
寒いと行動が鈍るです・・甘々ですみません(涙)

まあ、「寒いと・・」は言い訳なのですが、
様々な理由を付けては「動かない」ことってありませんか?

要は、気持ちとか状況が、
「動くまでに至らない」ということだと思います。

もちろん、身動きが取れない場合もあると思いますが、
「やろう」と思って「やらない」ことというのは、
お尻を叩く前の状態ではないでしょうか。


私の場合、寒いなんて理由付けは茶飯事?ですが、
大きなことで言えば、起業時なんかがそうでした。

時間の自由を手に入れ、
これから大変だぞ、って分かっているのですが、
組織に属するのと違って、
個人の裁量が利くのが個人事業だったりしますので、
自由は感じやすいものです。

取引先との兼ね合いや
収益を出すことに自由が及ばないのも確かですが、

「潰れる」リスクを気にしないのであれば、
何もしなくても構わないわけです。

ただし、厳しさも着いて回るということです。


私事ついでですが、
起業時の私は、夏休みの宿題を間際にやる子供のようなものでした。
・・子供の頃は違いましたけどねw

計画を密に練っていても、想定上でのことでしたから、
状況がどうなるかはフタを開けなければ分かりませんが、
運悪く?思うにならないことばかりでした。

当時は、やることをやっているけど、
成果が出るまでには時間が掛かるので、
その間は「何もできない」みたいな理由付けをしてしまうのです。

モチベーションの維持は簡単ではありませんので、
気を付けていても、「緩む」のは仕方のないことです。


それで、後になって、
「あれも出来たのに・・」なんて思うわけです。

でもね、その時は「やっていた」のです。
言い訳ではなくてです。


こういうケースをご経験している方は多いと思いますが、
日本人に多く見られる「後悔」のパターンです。

なんか、完璧性を求めてしまうのですよね。

冷静に考えると、
そこまで出来ないことは理解できているのに、
「ああすれば良かった」とか「これが出来た」とか・・

あとのまつり、なのに。


じゃあ、どうする?ですが、

出来ないものは出来ないし、

行動の動機がなくて動けないなら、動けないのです。

あとは、最善を尽くすことで、
「あれ以上は無理だった」と納得できること。

そして、動ける動機を得るまで待つ、でしょうか。


実際の場面でどう思うかが重要ですが、
私は「最善を尽くした」で、前に進んできました。

それでも、「ああすれば・・」と思えた時には、
あの時の「最善」は、本当に最善だったのか、と自問もしますが、

結局は「あとのまつり」です。

思い返したところで、戻ることは出来ません。


ただし、時と場面を変えながら、
同じ様なことが廻ってきますので、

そこで「やり直す」ようにしています。
それが一番シンプルなのでw


何かを意図しても、上手く行かないことは多いです。

それを理解していれば、ショックも小さくなります。

ですが、上手く行かないことが前提ではありません。


望みの結果を100とすれば、
実際の結果は減点法で採点されてしまいます。

自分を窮屈にしてしまう要因ですね。

窮屈前提になれば、パフォーマンスも全開になりませんので、
得られる結果は100未満になりやすいものです。


自由を手に入れるって、

本来は、こんな部分からの取り組みになるのですね。

「自分を表現する」とかでもそうです。

あれこれ後悔しないことが、自由の証かもしれません。


「動けない」ことも、動かない自由と解釈できますが、

あなたは、「動けない」と「動かない」どちらが多いですか?


私は「大丈夫」という言葉を使いますので、
「動けなかった」ことを大丈夫に繋げます。

本当は大丈夫でないこともありましたけど、
それでも、こうしていますのでねw

やみくもに自分を追い詰めてしまうと無理が生じます。

自分を追い詰めることで、重い腰が上がることもありますが、
それは「準備が出来ている」ことを知っているからです。


私が寒い日に思いうこと。

それは自分の自由についてです。


前の記事では、パズルや流れについてお話しましたが、
約束事とはいえ、寒さに負けず?に外へ出てみると、
それ相応の気付きを得ます。

そこに自分の意思(自由)が伴うことで、
パズルが組上がったり、
流れに沿うことを実感できたりします。

これは、とても心地の良いものです。

寒さも吹き飛んでしまいますw


あなたの心地良さは、どんなことですか?

壮大な願望とは別に、
日々の生活の中にある心地良さを実感しては如何でしょうか。

間違っても、自分を窮屈に追い込まないようにお願いします。


そして、重い腰が上がったときは、

「やっとだよ」とか「今ごろになって・・」とか思わずに、

動けたことを素直に喜んでください。


思うことは自由ですから、
心地良い思いを選んで頂くことをお勧めします。


それでは、一滴追加です。


今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。









何を食べるか迷いました [雑記事]


みなさん、こんにちは。


昨晩のことですが、何を食べるか迷いました。

何それ?ですよねw


昨日は、なぜかビーフシチューが食べたくなって、
洋食屋さんに出向いたのですが、臨時?休業でした(涙)

私は混雑を避けるために、
わりと遅い時間まで待って行ったのですが・・

結果としては、
休業に加え、他のお店も閉店が近い感じになり、
行き着いたのは多ジャンルのレストランでした。

もちろん、ビーフシチューを意識した選択でしたので、
メニューにも、しっかりとありましたw

ところが、迷ってしまったのです。

迷いの対象は「和食」です。

お寿司とお蕎麦のセットです。

あんなにビーフシチューだったのに!
(ビーフシチューの連呼は、気持ちの表れです(汗))


結局、選んだのは和食のセットです。

ちなみにですが、あなたはビーフシチューって、
食べたいと思ったりしますか?

私は、記憶の限りでは皆無です。

もともと肉食系でないので、
その珍しさ故、「食べよう!」となったのですが・・

これ、勘の良い方なら「好み」に収まったのでしょ。
って、思うかもしれませんが、そうでもありませんよ。

私は迷った時とか、とくに食べたいものがないときは、
中華かイタリアン?を食することが多いですので。

かといって、和食が久しぶりでもありませんでした。


なのに・・・


それで、なにが言いたいの?ですよね(涙)


感じるものに従った、です。


感じるものが変わったのが正解ですが、
意識よりも無意識が勝ったということでしょうか。


食事を例にすると、説得力に欠けそうですが、
こういうことって、結構、頻繁にあるものです。

誰にでもです。


ただ、当初の決めつけがあるので、
選択肢があることに寛容になれなかったりします。


さらに後日談があるので、
今回、食事を取り上げてみたのですが、

実は、今日のランチは知人との会食でしたが、
食べたものは焼肉でした。

知人のチョイスだったのですが、
私は会うまで知りませんでした。

私は食事が「重くない物」にシフトしているので、
昨日、ビーフ・・では、今日の焼き肉は重過ぎでした。


それを見越したかのような流れですが、

あなたは偶然だと思いますか?


私にとっては、必然です。


今日のランチを予知していたとは思いませんが、

感じたつもりが実は頭で考えたことで、
それと内面で感じたことの相違が、
昨夜の選択結果になったのかもしれません。


それと連動して今日のランチに至る、です。

知人がどのタイミングで焼き肉に決めたかは分かりませんが、
予約を要れていたわけでもないので、
思いつきだったかもしれません。

というか、そんなことはどうでもよくて、
私にとっての必然な流れをお話したかったのですw


すべては必然という考え方。

過去の経験が活きる、というのも、
点と点が線で繋がったことの証だと思っています。


そう思えると、人生に無駄なことなんて何もなくて、
どれが欠けても成立しないと思えてきます。

苦しく感じたことだって、
必要だったと解釈できるときがくると思います。

ただ、「苦しい」だけにフォーカスすると、
トラウマになったり、思い出したくない経験になります。

とても辛いことかもしれませんが、
「苦しい」を「経験の一つ」と捉えることで、
嫌な思いが昇華していくのです。

起きたことを人生のピースとして扱うと、
自分だけのパズルが作れます。

パズルのピースは「受け入れること」で増えていきます。

本当は既に沢山のピースを持っているのですが、
感情が幅を利かせていたりすると、
ピースになりきれないのですね。

私も随分と長い時間を要しながら、
こびりついた感情をパズルに変えてきました。

そのお蔭で、ビーフシチュー(しつこい)ですら、
面白いエピソードに変えられるのですw

物事って、解釈次第で変化するのですよね。


あなたも試しに、身の周りのことを
パズルのピースに変えてみませんか?

いつ当て嵌まるか分かりませんけど、
持っていて損はないですよ。

あなたの財産でもあるのですからw


それでは、今回も一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。


自分の好みを知る方法 [雑記事]


みなさん。こんにちは。

今回は「自分の好み」が分からない時の、
ちょっと、面白い探し方についてお話してみます。

自分の好みって、かなりザックリな感じですが、
色々な分野での好き不好きがあると思います。

その延長にやりたいことがあったり、
あるいは、よく考えてみると
「実は自分のこと分かってないな」なんて思ったりします。


今回は、そんな「自分」について、
ある方の「異性の好み」を知った方法をご紹介します。

この方は、30代の女性で、結婚願望があるけど、
なかなかゴールに至らないことが悩みです。


お付き合いする相手には困らない?けど、
最後の一歩を踏み出せない理由がありました。

それは、自分の好みの男性が分からなくて、
「この人って好みなのかな」と自問するようです。

いつも、そんな感じで「違う」と感じてしまうとのことですが、
そもそも、お付き合いに至る過程で、どう感じていますか?と
たずねると、「嫌でないことから進んでいく」とのことです。

なるほど、良いと思います・・私感ですが。

相手を知って行くなかで、合う、合わないも分かるのですから、
入口を狭めてしまうのは、機会の損失にも繋がります。


それにしても、「いつも」違うに至るならば、
好みは「どんな人?」となります。

そのような質問をすると・・

「分かりません」になりました。

では、「違う」と感じるのは、どの部分ですか?と私。

「雰囲気とか、ルックスとか、キャラとか・・」

おそらく、「佇まい」みたいなものなんですね。

結婚を考えるわけですから、
経済力なども重要なのかと思いますが、
最後に引っ掛かるのは、生活力に関わるものではないのです。

では、好みの芸能人などでも良いので、
好きなタイプの特徴を聞いてみると、

「芸能人は本心が出ていないので参考になりません」
とのことでしたが、
確かに画面を通じて接しているのは「よそ行き」部分です。


すると、「アニメのキャラって分かります?」・・

私はあまりアニメをというか、それほどテレビを観ていないので、
「疎いですね」という感じでお答えしたのですが、

彼女は仕事がら、帰宅が遅いので、
深夜帯で放送されているアニメを観る機会が多いようでした。

そこで、私は何かを感じたらしく?、というか、
「分かりやすいかも」と思い、

その場でタブレット端末を出して、
アニメのタイトルとキャラクターの名前を聞きながら、
番組のサイトなどで、「設定」などを調べました。
・・結構、面白いですw

後から気付いたのですが、
物語という点では、ドラマよりもアニメのほうが、
真実味があると言えます。

声優さんたちが「演じている」部分はありますが、
見た目は「本物」と見なしやすいです。


それで、「何人」かのキャラの特徴を合わせてみると、

普段はクール(人見知り)でも、

仲良くなる(心を許す)と、人懐っこい一面を見せる人。

あと、「黒髪」で「普通の家に住んでいる」感じになりましたw

これを聞いたあなたは、

「アニメの世界でしょ?」とか、

「実在しないじゃん」みたいに思うかもしれません。


でもね、それで良いと思います。

少なくとも、この女性は、
自分の好みを確認できたのですからねw

私も、何もない状態から好みを理解できました。

こういうことって、本当に近くに転がっているのです。

好みの異性は、一例に過ぎず、
自分に関わることは、足元にあることを見直すことで、
「知る」ことができるのです。


「自分のやりたいこと」分からない方は多いのですが、
構えて考えるよりも、先ずは生活の中からヒントを得るほうが、
簡単に分かるかもしれません。

そうでなくても、好きなことと好きでないことの判別は、
生活の場面を切り取りながら振り返ることで、
凡その傾向くらいは分かるものです。

「この道を通りたくない」でも、

「こっちのコンビニが良い」でもそうです。

「なぜ?」という問いかけをすると、
取るに足らないレベルでも、何らかの理由があります。

「単なる癖だよ」であっても、
癖になったきっかけがあったりします。


今回は、自分を知るということで、
とても分かりやすい例だと思いますが、
「自分は何が好きなんだろう」という疑問があったら、

毎日の生活にヒントがあることを思い出してくださいね。

なにしろ、自分が分からないと、
「自分らしさ」だって分からないですからねw


自由な時間が欲しいなら、何をしたいのか。

お金が欲しいなら、何のために欲しいのか。


「何もしたくないから自由な時間が欲しい」でも良いのです。

その裏には、

「疲れてしまっている」とか、

「働かずに生活したい」などがあるかもしれません。


「これが買いたいからお金が欲しい」なら、

人生というスパンでなくても願望ですし、
お金に不自由したくないという根底のことかもしれません。


そして、「では、どうすれば解決するの?」と問いかけることで、

生き方のスタイルや職業など収入の得方などが分かってきます。

さらに、具体的な問いかけを行うことで、

「これだった」が形として現われてきます。


時間が掛かっても構いません。

むしろ、本当の自分にアクセスするには、
時間が掛かって当たり前と思ってください。

でも、「全ては自分の中に用意されている」ことは、
しっかりと意識してください。

人生のツールとしての職業などで、
資格が必要と感じるかもしれませんが、

自分らしく生きること自体に、
資格やスキルは必要ありません。

無理がない=「ありのまま」が楽な状態です。

心地が良い無理(努力)を伴う資格の取得は、
楽しいことの一つとしてカウントできます。

ただ、「これがないといけない」というのは、
視点が反れている可能性があります。

自分が無理なく楽しく生活できる、という視点。

そこに結びつくことを「都合良く」妄想してください。

実現の可否を問う必要はありません。

発想は自由にお願いしますね。


今回は意外な自分発見方法としてお伝えしました。

あなたも、近くにあるヒントを紐解いてみてくださいね。

思わぬ自分発見の機会があるかもしれませんのでw


それでは、また一滴追加す。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。






続続・お金について 借金も財産とは? [雑記事]


みなさん、こんにちは。

お金関連のことって、
やはり現実に影を落としていたりして、
放置できない問題なのだと思います。

今回は、お金についての3回目になりますが、
引き寄せの誤解シリーズよりも好評?なので、
また少し触れてみたいと思います。

今回は「借金も財産のうち」です。

この言葉を聞いたことがある方は、
私と近しい年代の方かもしれませんね。

最近の若い方だと、あまり耳にしないのかな。


まあ、解釈はまちまちですが、

「信用があるから借してくれる」とか、

「借財に分の財産?が得られている」とか、

乱暴な感じだと、

「くよくよしない」とか、

「お金を稼ぐ(返済する)励みになる」とか・・

なるほど!?もあり、ヤケクソ感もありです(汗)


今回は、スピリチュアル的に発信してみますが、
この「借金」って、額の大きさが自分のキャパというか、
可能性だと言われています。

どういうことかと言うと、
「それだけ返せることの裏返し」というものです。

こうお話しすると、

「では、破産する人は?」ですよね。

この点については、
今回の人生を送る前に自ら設定している経験事項の中で、

破産を経験に盛り込んでいるケースは、
とても少ないということです。

盛り込んでいる場合は、
それ自体が他の人への貢献(有り様を見せる)だったり、
あるいは、魂の成長に必要な要素だったりするわけです。

確かに、大事業を成す人って、
破産してから、さらに大きく立ち直る人がいます。

この辺りは長くなるので置いてみますが、
借金の大きさは、それ以上に稼げることの証という考え方。

前回は「副業」とか「起業」に触った感じなので、
さらに触りますが、

例えば、サラリーマンの方が、
自分の稼ぎでは、どうにもならない額の借財を抱えたときは、
独立を促すサインと言います。

このまでは「無理」という状況に対峙することで、
初めて、あるいは「描いていた道」を意識させるのです。

これは「宇宙の優しさ」と言われるものですが、
言わば、自分らしくへ「背中を押される」ということです。

引き寄せ系の書籍などでも語られているので、
ご存じの方も多いかと思いますが、
「そろそろ真剣に自分の道を歩きなさい」という、
荒療治として受け入れられると良いのでしょうね。

まあ、私もそうでしたが、
言うほどに楽観的なものではないのですが(涙)

それでも、腹を据える機会であるのは確かです・・経験上。


??「何千万もの住宅ローンは?」ですね。

これって、「どうにもならない」ではないと思います。

それだけのローンを組めた訳ですし、
そのまま行けば、払えるということです。

ただ、何らかの事情でローンが払えなくなったら、
一年発起を考える時期かもしれません。

というか、現実問題として、
やりくりの仕方を考えるのは必然ですから、
その中に独立などが選択肢として含まれるのは、
かえって自然なことです。

その前に、
不動産の処分なども視野に入るでしょうから、
なんとかなってしまう可能性もあります。

今回は、「代用のきかない借金」で良いです。

それを踏まえ、借金の内容は問題ではありません。

注目して頂きたいのは、
借金の額<自分のポテンシャルです。

少なくても、こう捉えて頂きたいのは、
何とか払っているけど・・と塞ぎこんでしまうときに、
自分には、それ以上稼ぐ力が内在しているということです。

「そんなの何の気休めにもならない」のか、

それとも、

「そうか、打開してやるぞ」になるかは、

個人の解釈に委ねられますが、

私は、幾度となくへこたれながらも、
最終的に自分の可能性を信じて、ここにいます。

何も残らない借財に囲まれている時は、
本当に重苦しくて、視界に幾重ものフィルターが掛かったような、
情けなさの極地にいましたけどね。

でも、どこかで「このままでは終わらない」という思いが、
小さな灯としてあったのは紛れもない事実です。

よく「どん底」を味わうと強くなるとか、
「火事場の馬鹿力」なんて言われますが、
偽りではないと思います。

だからといって、わざわざどん底まで行きませんが
意図せず行き着いてしまったら、
そこにも「道」はあることを実感しています。

まあ、私がこう思えるのですから、
あなたが同じような境遇にいるなら、
Ⅴ字回復だって、夢ではないはずです。

私の時は、こんなこと誰も言ってくれませんでしたしね(汗)

ただ、こうお伝えしても、
現状はとても苦しいかもしれません。

それでも、自分の潜在能力を信じる機会であることだけは、
忘れないで頂きたいと思います。

さらに、自分の生活状況が苦しいものでないなら、
気持ち余裕のあるメリットを活かしながら、
自分の可能性に目を向けてくださいね。

物事は解釈しだいで、有り様が変わるのですが、

それにしても、
「借金も財産」とは、よく言ったものです。

どこの誰の造語か分かりませんが、
誰でも偉人だな、なんて誇大解釈してしまいますw

「ピンチの中にチャンスあり」も正論です。

先ずは、そんな視点を持てるように、
自分を信じることをお勧めします。


それでは、また一滴追加です。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。
















続・お金の話 労働と対価 [雑記事]


みなさん、こんにちは。

今回は、お金の続編・・ですw

先日、雑記事で書いてみた「お金の話」が、
ご好評を頂いたので、また少し書いてみます。

お金は自由の物差しとお伝えしましたが、
自分の欲しいだけのお金を得ている方って、
どれほどいらっしゃるでしょうか。

十分に得ているという方にも、
今一度、考えて欲しいのは、ライフデザインの基準です。

お金(収入)でいうなら、

自分が「こうしたい」基準であるか、

あるいは、「お金はこれだけだから」基準かです。


キーワードは「身の丈」でしょうか。


自分の収入を計算しつつ、
「これくらいの事なら出来る」と考える方が多いと思います。

一方で、壮大な夢を描く方なら、
「非現実的」な経済状況が必要になるかもしれません。

このような言い方をすると、
「身の丈」が正解のように聞こえるのですが、

私としては、後者を採用しますw

敢えて「非現実的」と表現したのですが、
あなたは、この言葉に抵抗を感じたでしょうか。

今回は成否を論じるのではないので、
今、どのような感覚をお持ちになっても構いません。


それでは、本題ですw

当ブログの読者さんでも、
お給料を頂いて生計を立てている方が多いと思います。

労働の対価としての報酬ですね。

不労収入を得ている方でなければ、
皆、同じように収入を得ていると思います。

そして、労働(負担)と収入がマッチしていると感じるか否かで、
満足感や不満などが交錯すると思います。

自分の時間や能力を売る事で得る対価が、
正当であると思える方は、意外と少ないものです。

これは、会社や労働環境に依存するものですが、
どんなに好条件の環境を手にしても、
何れ、物足りないなどの不満が出てくるでしょう。

勿論、「身の丈」という意識がある方なら、
一定のラインで「納得」できるかもしれません。


ただ、自分の欲することを抑圧できなかったり、
自らの可能性を信じている方であれば、

現状、あるいは「計算内のこの先の収入」に違和感を感じたり、
そんな状況から脱したいと願っていると思います。

ここで、知り合いの起業(企業)コンサルタントの話を引用しますと、
「大きく稼ぐ」には、投資が欠かせないとのことです。

出来るか否かは別として、なんか当たり前な考えです。

ただ、よく考えてみると、組織全体に関わらず、
個人単位でも参考になることでもあります。

投資が端的に環境の整備であったとき、
その内訳は事業の効率化や自動化、システム化だったりします。

これを進めることで、一人当たりの売上などが高くなっていきます。

一方で、効率化によって、人件費の抑制やコストカットが
「収入減」という形で返ってきたりするので、
雇用される側からすると、効率化も手放しに喜べないかもしれません。

ここで、視点を変えてみますが、
自分の収入は時間の切り売りによって決まるとすれば、
得られる収入はごく限られたものとなります。

その結果、収入限界が身の丈になるわけです。

ただし、雇用労働の他に収入を得るシステムがあれば、
身の丈は巨人にすらなりえます。

端的に「副業」と解釈しても構いませんが、
「副業なんて御法度」という方も多いと思います。

だからと言って、自分の設定した「身の丈」が、
必ずしも正しいかは疑問ですよね。

前述のコンサルタントの方は、
起業当初は、「不労化」への投資に専念されたそうです。

生活に関わる部分以外は全て投資に費やし、
会社勤め以上の収入を得ても、徹底的に自動化を進めた結果、
一年後には億単位の収益化に成功したそうです。

面白かったのは、
「お金を稼いでも自由でなければ意味がない」という言葉です。

忙しくて使う暇がなければ、お金は貯まるかもしれない。
でも、それでは意味がないという考えです。

私たちは、身の丈を意識すると同時に、
老後のことなども考えながら四苦八苦しています。

そんな最中にあっては、「貯める」と「使う」でも、
「アリとキリギリス」のような思考を巡らせます。

結局的に「現状維持しかない」に収まりそうですが、
実際、可能性はいつでも存在しています。

身の丈の設定も、実は自分しだいです。

なにも、収入に不満なら、
「一本立ちしなさい」と言っているのではありません。

ただ、「今の身の丈」が既定路線ではないのも確かです。

とかく、現状との比較から、
出来る出来ないを判断してしまいがちですが、
「今」を捨てて変化しなくても、
「今+」という考え方があって良いのです。

その「+」は、自分らしいこと、などです。

「趣味が高じて」という話もよくあります。

私の経験も含めてお伝えしたい部分ですが、
現状(労働)が苦になって仕方がない方などは、
もしかすると、他に道があることの提示を受けているかもしれません。

辛いだけの人生は、本来のものではありません。

かといって、今すぐ判断しろ!でもありません。

でも、労働そのものに違和感を感じているなら、
「他に何かあるのでは?」という視点も備えて欲しいと思います。

長い間浸透し続けている、
「労働と対価」という考え方に、
自ら一石を投じてみては如何でしょうか。

私たちは、既に多くの先人が投じた「波紋」を受け取っています。

そんな前例を他人事で流してしまうよりも、
自分にフィットするものはないか問うてみると、
とても近くにヒントがあるかもしれません。

労働と対価を自分で設定する、
そんな自由を手にして頂けると、
今までイメージ出来なかった「自分らしさ」が
ひょっこり顔を出します。

夢物語ではない自由な人生を、
あなたのタイミングで真剣に意識しませんか。

変化への怖さは誰にでもありますが、
「今+アルファ」なら怖さも半減します。

白か黒かと決める必要はありません。

あなたを苦しめる既成概念があるなら、
物差しは自分で作って構わないのです。

日々の労働で自由を失っていると感じるなら、
余計な自由まで献上しないでくださいね。

少しづつでも、自由を取り戻す術を
身に付けていきましょうね。


それでは、一滴追加です。

今回も、最後までお読み頂き、ありがとうございます。



成人式で思うこと [雑記事]


こんにちは。

先日は成人の日ということもあり、
郊外では、例年通りの「祝成人」のみなさんの集う姿がみられました。

そんな折、私は所用で駅に出向いていたのですが、
スーツ姿の若い男性数人が、顔を赤らめながら咥えたばこで歩いていました。

見るからにというか、成人式がてら飲み会の続きを
相談している感じでした。

とまあ、普通のことです。

ただ、面白く感じたのは、
おそらく彼らは、お酒を飲むことも、たばこを吸うことも
今に始まったことではないと思いますが、
やはりというか、「大手を振って」的な感じで闊歩している、
そんな印象を受けました。

このご時世では、駅付近は禁煙ゾーンだったりするのですが、
それも意に介さずといった感じです。

いつもなら、そんなこともしないであろうに、
大手を振れることで、些か勘違いというか、
変な余裕が生まれたかもしれません・・・私見ですが。

これ、何が言いたいのかというと、
「後ろ盾」の強さでしょうか。

いつものことであっても、
改めて肯定されることで、気持ちにゆとりが生まれます。

周りを気にする必要がないことに、
ある種の自由を感じたりします。

成人を迎えるのはおまけに過ぎず、
誰にでも、こんな瞬間があったりします。

冒頭の成人諸兄の喫煙場所はともかく、
人間には「承認欲求」というものがあります。

自分を認めて欲しいし、認めてくれる人には好感を抱くものです。

ただ、残念なことに社会に出ると、
承認機会は減っていきますし、
いつしか、「当たり前」という前提がはびこり、
何をしても、褒めらたりしなくなりますよね。

それが、「他者からの評価」ならまだしも、
自らも、「出来る」ハードルを高めていってしまいます。

すると、どうなるか。

度が過ぎると、「自分は出来ない人」のような境地に至り、
本当は、凄いことであっても、評価はなしが当たり前になってしまいます。

あなたにも思い当たる節があるかもしれません。

私は、当たり前のことって、
本当に当たり前かと思うことがよくあります。

どんなに「いつものこと」であっても、
続けていることは「凄いこと」で良いのではないかと。

小さなことを積み上げることの偉大さは、
忘れられてしまうことが、しばしばあります。

以前にもお話しましたが、
今日も、明日も、初めて迎える日々です。

いつもどおりのことでも、
実は、初めてのことばかりです。

そんな初めて尽くしの中にあっては、
どんなに些細なことであっても、
やり遂げている自分という存在は偉大です。

そんな自己評価の機会を大切にしませんか?

他の誰もが、スルーしてしまっても、
自分だけは、自分を正当に評価してあげてください。

自分への「ご褒美」だって、甘やかしではありません。

というか、人に話す必要もありませんよね。

いつも自分を温かく迎えられる人には、
それ相応の未来があります。

自分の価値評価を他人に委ねてしまえば、
他人の想像の範囲内で過ごすことになります。

あなたが限りない可能性を秘めている以上、
他人の世界で過ごすことは勿体ないことです。

自分の進みたい道を歩くなら、
いつでも自分の味方でいてくださいね。

自分の人生は、自分で舵を取るということを、
いつも意識していてください。

「勝てば官軍」なんて言いますが、
あなたも私も、自分の中ではいつも官軍です。

一時の不都合や他人の評価に一喜一憂せずに、
自分だけの道を自信を持って歩いてください。

社会で与えられた価値観が、
あなたの価値観である必要はありません。

周囲の雑音に心が折れそうになったときは、
是非、思い出してくださいねw

私は、あなただけの道を応援します。


それでは、一滴追加ですw

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。






お金が追いかけてくるとは [雑記事]


みなさん、こんにちは。

今回は「お金」について取り上げてみたいと思います。

お金への考え方って、人それぞれなのですが、

語るのは「汚いこと」と捉えている方も多いものです。


実際に「お金が欲しい」とか「貯めこむ」などの話になると、
白い眼で見られたり、挙句には「亡者」なんて言われたりもします。

とはいえ、我々が生活する上では、お金は切っても切れないものです。


そして、こんな言い方もあります。

「お金は自由の物差し」

些か、分かりにくいですが、
多くの人が好きでもない仕事に従事して、
やりたいことに時間や費用を捻出できない状況があります。

自由を制限されている感じです。

これについても賛否があると思いますが、
必要な分のお金を持つことで安堵感を得られたりもします。

今回、お金を取り上げてみようと思った理由は、
テレビなどでニュースを観ていると、
経済や景気の話を始め、広くお金に関わるトピックが多いからです。

もう、この時点で嫌悪感を感じる方もいると思いますが、
嫌な気分になりましたら、今回はスルーして頂いて構いません。


では、本題に入りますが、
お金に不自由さを感じる方が多いのですが、どう解決したらよいのか。
(劇的な解決策は提供できません・・)


こんなことを聞いたことがあるでしょうか。

「お金を追いかけると入ってこない」

「お金に追いかけさせると入ってくる」


この状態を「私たち的」に解釈してみると、

「仕事に没頭する」でしょうか。

お金の計算をしないで仕事に集中していれば、
やがて給料日がやってくる・・

なんか、乱暴な感じですね。

ただの理想論にさえ聞こえます。


まあ、間違いではないのですが、

お金のことが気にならないくらいに仕事が楽しいとか、

想定以上の収入が得られるケースでないと、

なかなかどうして・・・です。


「でも、上記の状態になれれば良いのでは?」
と思ったあなたはポジティブさんですw

更に、やりたいことを仕事にしている方なら、
「追いかけてくる」ことが腑に落ちているかもしれません。


ここで、私の話になりますが、
独立(やりたいことが仕事)してしばらくは、

毎日が楽しかったのですし、
「お金は後からついてくる」と思っていました。

ただ、思うような成果が得られない状態が続いていくと、
そんな悠長なこと言ってられない、になりました(汗)
・・それでも楽しいはずなのですが。

でも、現実的には楽しめないわけで、
その結果、負のスパイラルへ突入です。

目先のお金を「追いかけなくてはならない」のです。

実のところ、この状態の方って多いと思います。


結局のところ、自分の信念が問われるのかもしれませんが、
どんな状況でも「自分の好きな事以外はやらない」という、
心の芯が据わっていないと、状況は受け入れられません。

言い換えると、「迷いがない思いの強さです」です。

同じお金が入らないでも、
嫌々か、そうでないかの違いは納得感の点で相違があります。

それでも、理想論の域を脱していませんが・・。


「好きなことじゃ、飯は食えないんだよ」となれば、

嫌々でも、身入りの良い方へシフトするでしょう。
だって、生活できませんからね。

こう考えると、「やりたいことをする」なんて、
軽々しく言えないと思っています・・気持ちは言いたいですけど。


現実の状況は避けては通れないことですから、
「嫌々」を受け入れざるを得ないのも確かです。

では「やりたいこと」は諦めてしまうのか、といえば、
それでは人生が「消化試合」になってしまいます。

なので、「やりたいこと」は必要であって、
それを見つけたときに、どう取り扱うかがポイントになります。

今すぐに仕事を辞められないけど、
出来る準備は継続して行っていく選択はあります。

一方で、叶わぬ夢として処理することも可能です。

ただし、準備が100%整うことは稀ですので、
どこかのタイミングで踏み出さなければ、
結果として、叶わぬ夢になってしまいます。

足りない部分を補いながら進めるなら、
夢は現実味を帯びてきます。
お金が追いかけてくる可能性も芽生えます。


ちなみに。
独立当初の私を「勇み足」と思われるかもしれませんが、
実はそうでもなくて、踏み出したことで「今」があります。

一見、失敗と解釈もできますが、
あの時、行動しなかったら、
今こうしていられなかったと思います。

「お金が追いかけてくる」は現実にあります。
ただ、それには時間が必要です・・厳しい話ですが。

一方で、じっと待っていてもお金はやってきません。

時を過ごすことの概念を変えることで、
波動が変わり、状況に変化が生まれます。

給料日を待ち遠しく思っても、
意識を日々の業務に向けておくことで、
何れ給料日は「やってくる」ことになります。


といっても、概念の切り替えは難しい・・実に。

ここでのポイントは、開き直れるかどうかになりますが、
根底にあるのは、「足りない」という感情の扱いです。

足りないという意識下では、
足りない状況の維持、あるいは一層足りなくなる状況に
波動をチューニングしてしまうので、
解決の糸口を拾うことができません。

そこで、状況を打開すべく、
お金にまつわる書籍などを読んだりするのですが、
お金を好きになるとか感謝とか、果てはお札の向きを揃えるとか・・
やってみたけど「本当にそれで?」みたいになります。

スピリチュアル的には、
自分が一番お金を持てるのは「大好きなこと」を
仕事にしたときだと言います。

それならの一手は、

何をやっても「嫌々」になるし、
いつになっても思うような収入に届かないなら、
大好きなことを意識しても良いと思います。

現状で出来る出来ないは関係ありません。
考えるのは自由だしお金もかかりませんので。

そんなことを考えてみるだけでも、
「足りない」状態にある意識を、他へ向けられます。

夢を持っていることの大切さって、
叶う叶わない以前に心的に影響があるのです。


如何でしょうか。

もし、あなたが日々の労働を嫌に感じていたら、
どんなことなら嫌でないか、どんなことがしたいのかを
今一度、思い出してみてください。

そして、それに価値を感じたら、
それを得るために「動くことだって有りだ」って、
考えてみてください。

それが、変化への第一歩になります。

お金が追いかけてくる状態って、
あながち、理想や夢物語ではないかもしれませんよw

少なくても、「実例」はゴロゴロしていますので。

長い人生ですから、早々に自分の可能性にフタをする必要はありません。

というか、老い先の長さなど関係なく、フタは厳禁ですね。

当ブログをお読み頂いている、あなたですから、
自分の最大の輝きを手にするのは、これからのはずです。

私は、そう信じていますし、
あなたは、もっともっとそう思ってくださいねw

それから、お金の話って汚くないですからねw
あなたの自由を演出してくれるツールですので、
あなたのために働いてもらいましょうね。

私も仕事がら「お金持ち」についてとか、
ちょっと面白い話などを持っているのですが、
それは別の機会にというか、リクエストに応じてみます。


それでは、また一滴追加です。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。








年の初めは付け込まれる? [雑記事]


みなさん、こんにちは。

今回のテーマは物騒な感じでしょうかw

「不安に付け込まれる」って、詐欺?なんて思ったあなたは・・
正解?かもしれません(汗)・・言い過ぎですね。

これ、何のことかというと、

私の元に届く「メール」なんです。


職業柄というか、スピリチュアルに関わっていると、
多方面からの情報収集などは欠かせないものですが、

そんなことから、引き寄せ系などの情報と共に、
セールスなども絡んでくるわけです。

あなたの元にも、やってきませんか?

今は、アマゾンあたりで書籍を物色しても、
「好みそうな」ものをチョイスして
「お知らせ」して頂けちゃいますよね(汗)

それで、この時期にやたらと多いのが、

「まだ引き寄せられていないのですか?」とか、

「今年こそ願望を引き寄せる!」とか、

まあ、こんな感じの「お誘い」ですw

新年を迎えるにあたり、
「一瞬」の高いモチベーションに商機を見出す感じです。

悪くいえば、扇動ですけどね。

というか、悪いことではないと思います・・

しっかりと導いてくれるなら。


でも、毎年、お決まりのようにやってくる「お誘い」には、
正直言って、他人事のような距離感しか感じません。

ネガティブな感じで終わり・・のようですが、
私が感じるのは、「需要」の部分です。

依然として、思うような人生が送れない方が多いという現実です。


引き寄せの法則は、とてもシンプルなのに、
一向に「成功者」が増えていないのか・・・

スピリチュアル系の特徴って、

自分が幸せになったら、周囲も取り込んでいくのが本質ですから、
「成功者」になれば、そのノウハウとかを共有するのが自然です。

決まった数のパイを取り合うのは理に叶っていませんから、
成功のスパイラルが発生して然りなのですけど、

その辺が、うまく進んで行かないのは悲しい限りです。

私がどれほどの者であるかは別にしても、
共有できることをシェアしていくのは当然ですし、

これから先、あなたにも周りの人達を導いて欲しいと思っていますので、
大海の一滴であっても、注ぎ続けることを大切に思っています。

以前、「引き寄せマスター」について触れましたが、
本来、引き寄せの専門家って、だれでもなれるんですよね。

完璧なマスターってよく分かりませんが、
自分が身に付けた部分は、
まだ会得していない方へ伝えることができるのです。

その伝え方は千差万別で、受け取り手にフィットすれば、
色々な伝え方があって良いのです。

そんな「やり取り」が日常化すれば、
「年頭のお誘い」も減るかもしれないですね(汗)

もっとも、私やあなたのように、
引き寄せへの興味がある方ばかりではないので、
こと日本においては、まだまだ否定されることもあります。

とはいえ、スピリチュアルに無縁の著名な実業家の方でも、
成功へのプロセスを語るときに、
引き寄せなどが当て嵌まっていることも多いです。
(本人は否定されるかもしれませんが)

ただ、私がお会いしてきた「成功者」と言われる方の中には、
スピリチュアルを肯定されている方も少なからずです。

立場上、まだ大手を振って言えないのが本音かもしれませんが、
願わくば、そんな影響力のある方にこそ、
もっともっと、語って頂きたいと思っています。

なんだか、大きな話になってしまいましたが、
あなたが、冒頭の「お誘いメール」などを手にして、
「みんな引き寄せられていない」とホッとしているなら、

是非、そこから一歩踏み出して頂きたいと思います。

優越感を得るためではなく、
少しでも早く、自分の思う通りの人生を手にして、
誰でも「そうなれる」ことを伝えて欲しいです。

うーん、これ、私の願望ですね・・やはりw

そのためにも、進化を続けていくのですが、
出来れば、あなたにも一緒に進んで頂きたいのです。

引き寄せ系の情報は、実践論を述べていっても、
自己の内面的な部分が重要なので、
説明が抽象論へと傾倒しがちで、
それもやむなしと丸めてしまったりします。

でも、それでは「お誘い」と同じですよね(汗)

この点を実践編としてお伝えすることが大きな課題なので、
これからも、身近なことからお伝えして行こうと思います。

あなたはといえば、役に立つと感じた情報を
どんどん使っていく、です。

そして、継続です。

あれもこれもになるようななら、
一点に絞って、徹底的に実践してみると良いです。

全てについて良くなろうとすると息切れしますので、
何故、躓いてしまうのか、その理由を理解して、

その解決に役立つものだけに目を向けてみると、
耳触りの良い謳い文句に惑わされることもなくなるでしょう。

今回の提案は、「一点集中」でステップアップです。

上手くいかないと感じ時こそ有効ですので、
しっかり腰を据えて取り組んでくださいね。

それでは、今回も一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。











初夢と占いを都合よく?解釈する [雑記事]


みなさん、こんにちは。

そろそろ、お仕事が始まる方も多いのではないでしょうか。

私は、年末年始も変わりなくでした(汗)

どうですか、仕事が始まる面持ちって。

憂鬱ですか?

さあ、始まるゾ!ですか?

それとも、いつもどおり、ですかw


やはり、お休みが終わってしまうのですから、
「始まるよー」って感じが多いかもしれませんね。
(ネガティブだ・・なんて思わなくてよいのですよw)

ところで、あなたは今年の初夢って覚えてますか?

今年になって、初めて見る夢ですから、
年越し前に眠りについた方なら、
元旦の夜に見た夢が初夢になると思います。

私はといえば、いつも言っていますが、
年末年始は昨日と今日みたいに思っていたりなので、
初夢は意識していません。

スピリチュアル的にどうこうは抜きにして、
「感じること」が最優先なので、
いつだって、感じることを大事にしていますw

それに、白蛇に限らず、
結構「良い感じ」の夢を見てきましたが、
「反映」された記憶がありませんので、
なおさら意識しないんですよね。

でも、普通?は、習慣的に「新年で仕切り直し」がありますので、
いつもと違う夢を見たりするかもしれませんね。

ということで、あなたの初夢は如何に?です。

何か、今年一年の指針になるような内容だったら、
それを忘れないように過ごしてみてくださいね。

反対に、良からぬ内容だったなら、
「それに気を付けて過ごす」で良いと思います。

というか、気にしないでも結構ですよw


これって、占いの解釈の仕方にも通じるのですが、

以前、「おみくじ」の解釈について、
知り合いのお坊さんとお話したのを思い出しました。

おみくじって、大吉を筆頭に「吉系」がでるとホッとしますよね。

反対に「凶」とかが出ると、へこんでしまうものです。

でも、お寺や神社などにもよりますが、
総じて「悪い」内容は少ないとのこと。

なので、数少ない「凶系」を引くということを
「引きの強さ」として解釈すれば良いのだそうです。

些か、こじ付け感がありますが、ふむふむですw

そうでなくても、「引きが悪い」というよりも、
「これから気を付けるトピック」を教えてもらったで良いのですね。


話がそれますが、
あなたも占いが好きかもしれませんね。

それほどでなくても、
悩みがあったり、心が不安定なときに占ってみたりするかもしれません。

安心したい気持ちを補完する感じでしょうか。

ただ、ここで「追い打ち」をかける結果がでたりすると、
「安心」できるまで、次から次へと情報を求めたりします。

インターネットの無料占いなどは、いつでも大人気です。

一方、「安心できる結果」が出ても、
それを信じ切れずに、何か起きると良い結果を忘れてしまいます。

これ、どういうことかというと、
何を提示されても、「心の向き」には逆らえないのですね。

それくらい、「思い」って強力なのです。

さらに言い換えるなら、

心の向きを自在に操れれば、
どんな占い結果も「追い風」にできてしまうのです。
・・そう、都合良くです。

自分の舵取りを自分ですることの一つです。

もっとも、自分の芯がしっかりしていると、
占いなどのお世話になる機会も減ると思いますので、
舵取りが出来ているということですね。

私は占いを否定しませんし、
自分でも参考にすることがあります。

ただ、結果に振り回されないようにしています。

使い方のポイントは、結果がどうこうよりも、
出た結果に自分の感情が動くかどうかを確認します。

良くても悪くても、必要以上に気になるなら、
「自分が弱っている」と解釈するのです。

都合良く解釈できれば、「ぶれていない」です。


あなたの解釈って、どんな感じですか?


そもそも、おみくじも占い師の方も、
誰かを陥れることを目的としてはいませんよね。
・・そう願っています。

ならば、「参考」になるような解釈を心掛けたいものです。

自分が望む方向へ進むためのヒントが詰まっている、と思えれば、
一喜一憂されることもなくなります。


なので、初夢もおみくじも、解釈はあなたしだいです。

そして、日々の出来事も解釈はあなたしだいです。


新年の始めに、私から提案したいのは、
「躓かない自分を意識してみてください」です。

いつでも、自分の「芯」を試されているでしょうか。

とはいえ、一々構えていては、早々に疲れてしまいますので、
躓かない、躓いても起き上がれる自分を養っていこう、で良いのです。

今年は、日常の出来事を「へー、そうきたか」って、
思えるような一年にして頂きたいと思います。

ふとした時に、「あれ、動じなくなったな」って、
感じる日が来ると思いますのでw

年頭から躓きそうになったら、
都合良く解釈することを思い出してくださいね。


今年も一歩ずつ進化の道を歩いて行きましょう!

千里の道も一歩からですが、
芯が定まると、瞬間移動だってあり得ますからねw

まずは、肩の力を抜いて、
近くにある気付きの機会を拾って行きましょう。


それでは、また一滴追加です。

今回も、最後までお読み頂き、ありがとうございます。












タグ:初夢 占い

人は失敗談が好き [雑記事]


みなさん、こんにちは。

いきなりですが、ひとは失敗談が好きですw

これ、日本人の特徴でもあるのですが。

よく言われることですが、
日本人は欧米人に比べて、ネガティブだとされています。

理由はいろいろですが、
農耕民族だからとか、島国の閉鎖社会だったせいだとか・・
諸説あります・・

真意のほどは専門家の方々にお任せしますが、
何れにせよ、日本人の失敗談好きは確かです。

では、なぜ好きなのかといえば、

失敗する(した)のが「自分だけではない」と知ることで、
劣等感や阻害感などが確認できて安心できるのです。

苦境にある自分と心境を共にする第三者が多いほど、
不安や焦りを鎮めるのに役立つのです。

これって、悪いことではないと思いますが、
「そこで終わってほしくない」と思ってしまいます。

「そうか、自分だけではないんだな」って思えたら、
その先の行動にも吹っ切れるような解釈であって欲しいですね。

自分だけではない、と安心して終わってしまうと、
事あるごとに安心材料探しに意識が向いてしまい、
「(動かなくても)まだ大丈夫」を肯定し続けてしまいます。

なので、これからの行動に勇気を与えられるのが、
失敗談の最適な受け取り方だと思います。

私は、他の媒体等で失敗談なるものを披露?していますが、
当ブログでも「それなりに」綴ってはいますw

「それなり」の理由は、引き寄せ=ポジティブが前提と思っている方も多く、
失敗談ばかりだと、ブログの存在が「後ろ向き」のように錯覚するからです。
・・・これ、本当にありがちなんですよ。

余談ですが・・
スピリチュアル系の語り手って、「大物」になればなるほど、
「過去の大失敗談」を披露しつつも、
身近な「失敗」については語られることが殆どない気がします。

でも、本当はけっこうあるんですよw

「大家」になれば、日常生活などでの悩みが無くなると思います?

そんなことありません!

人生は常に学びの機会の連続ですから、
課題もあるのですが、怯んだりしないんですよね。

課題は常にあるけどクリアできると分かっているし、
それを信じきっているから、
成長するためのチャンスとすら捉えてしまうのです。

それにしても、著名な方などから、

「この前、失敗しちゃいました」

「今でも、こんなことがありますよ(汗)」って聞くと、

「それなら自分もいけそうだな」って、

安心と自信に繋がるのですけどね。

ちなみに、先日の私の「トラウマ暴露?」記事は、
ご好評?を頂けたのか、沢山の方にお読み頂いているようです。
・・本当、他の記事よりも多いです(汗)

私としては、数ある体験のひとつに過ぎないのですが、
あなたのお役に立てていれば嬉しく思いますw

余談ですが、「もっと聞かせてよ」というご意見がありましたら、
コメントなどお願いしますね。

「自分はこうなんだけど、管理人の失敗はどうなの?」
でも良いと思います。

たぶん、いくらでも出て来る?と思いますので、
心の深呼吸の役に立つかもしれませんね。

上手くお伝えできるか分かりませんが、
必要なことは最適な形でお伝えしていこうと思います。

あなたは、失敗談が好きですか?w

誰しも失敗をし続けます。
(気付きを得た時点で失敗ではないのですが)

「自分だけが・・」と思いたいときこそ、
「他にも経験している人がいる」と思ってみてください。

そして、他人の「良いなあ」と感じることがあれば、

「自分にだってありうる」と受け取ってください。


新年早々ですが、

あなたに起こる様々なことへの解釈を、

安心や自信に繋がるものにしてくださいね。


それでは、一滴追加です。


今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。



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