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どん底とその後 [ネガティブ処方]


みなさん、こんにちは。

前回はかなりダーク?になりましたが、
その後についても補足しておこうと思います。

題して、「どん底のその後」ですw

とは言っても、対処方法があったわけではなく、

私がどん底の時にしたこと・・

それは「借り物の身体」で過ごしただけです。

あれ、それだと終わっちゃいますね(汗)


どういうことかと言うと、

「このままではダメ」だとか、

「こうすれば良くなる」とか考えなかったということです。

正確には「考えられなかった」のですが。


どうにもならない状況にあるのは事実ですから、
夢とか希望なんて、別の世界のことなんです。

だから、人生を「消化試合」のように、
時間を費やす毎日を送っていたのです。

思考の全てが、うんざりする方へ向かうので、思考停止しました。

すべてと言いましたが、振り返ってみると思考はしますし、
内容は、光と闇を秒単位で行ったり来たりしていました。

「もしかしたらどうにかなる」と「やっぱり無理だ」の繰り返しを、
寝ているときでさえ行っていました。

本当に、寝ても覚めてもです。

まあ、裏を返せば、どこかで可能性を信じていたのかもしれません。

でも、自覚の部分では「どん底」のままです。

今、思うに、この光と闇の交叉を経験することが、
どん底の狙いだったのかなと思います。

それが、どう影響するかではなく、漠然とです。


私たちは「動けない」のが悩みだったりしますが、
動かざるを得ない状況に陥ることで、変化を生み出すことになります。


私の場合でなら、消化試合と感じながらも、
出来ることを淡々とこなしていたことが、変化に至ったです。

特に変わったことなどしていませんし、
首が回らない状況にあっては、色気を出した行動など取れません。


でもね、もし神様が見ているとすれば、
「出来ること」をやっているかどうかだと思います。

というか、それだけだと思います。

どんな行動をとっているかとか、

どんな結果を描いているとか、関係ないのだと思います。

ただ、ただ、行動に没頭している。


自分の人生を生きるという純粋な行動が、
必ず「次」につながるのだと教えようとしている、そんな気がします。

「へえ、そんなの簡単じゃん」と思うかもしれませんが、
純粋な行動って難しいものです。

日に数万回の思考を繰り返すのが人間ですから、
純粋というのは「つもり」であることが殆どかもしれません。

かつての私の場合、資金繰りに地獄を見たことで、
「何を考えても無駄」となったのが奏功したのでしょう。

食事すら摂らずに1円でも稼がなくてはと動き続け、
周囲に迷惑を掛けてしまうという恐れから目を背けた。

言葉にすれば悲壮感たっぷりですが、
引き寄せの法則と同様に宇宙の法則は
善悪や他との兼ね合いなど一切考慮しません。

一心不乱に進むことを教えるには、
時に荒療治が必要なのでしょう・・・私の場合ですが。

あれが出来る出来ないとか、

これは良いけどこれはダメとか、

感じることを邪魔する思考があるならば、
それを取り去ることを学ばない限り、望むものは手に入りません。

よく、人生は思う通りにならないものと言われますが、
それが正しいとは思いません。

一般的であるとは思いますが。


でも、本来、私たちは望む人生を送れるという前提の元に、
生を受けてきているのですから、

人生を全うするために、必要な学びを得る機会があるのは当然です。

ただ、それをいつも都合の良いものと考えてしまうことで、
良い事、悪い事というジャッジを入れてしまいます。

更に、勝手にジャッジした結果に勝手に縛られてしまい、
本来の道から外れてしまうのです。

宇宙は優しいですから、軌道修正をしてくれます。

道の外れ方によっては、修正に苦痛を伴うこともあるのです。


私の場合、苦痛すら通り越してしまいましたが、
それほど「外れてしまった」ということでしょう。

でも、勘違いしてほしくないのは、
誰もが私のような「憂き目」に合うのではないということです。

コツコツと出来ることを行動に移して、
時々、進む方向性を確認していれば、荒療治は防げます。

だから、出来ることをしましょう、って話すのです。


ありがちな、きれいごとを並べる成功論ではなく、
実体験から来る否定のしようのない処方箋と自負しています。

あなたが、これからも自分の望む道を進もうとするとき、

それが心から感じることであるとき、

出来ることを積み重ねなければ、
何れ、軌道修正やお尻を叩かれる機会に遭遇するでしょう。

また、そこでも「選択」がありますので、
「やっぱりやめた」もありです。

ただ、自ら今回の人生のテーマに掲げたものについては、
「やめる」は選択できません。


私の場合、人生のテーマに、「成功する」というものがあるので、
「どん底」を経験したり、そこから逃れることが出来なかったのです。

もっとも、必要な学びを得れば、文字通り180度の大転換があります。

要は、自分の人生のテーマを知り、それに邁進することで、
真の幸せに到達できるわけです。

今のあなたが窮地にあるなら、自分の心の願望に意識を向けてください。

そして、どれほどのギャップが生じているかを確認してください。

さらに、そのギャップを埋める行動をとること。

それこそが、幸せへの近道であり、
私のような荒療治を回避する方法かもしれません。

ちなみに、自分の人生のテーマは分からないという方もいると思いますが、
知りたいと感じたら、知る方法をお伝えしたいと思います。

まずは、出来ることをやる=どん底の「その後」です。

小さなことの積み重ねって、塵も積もればですので、
馬鹿にしないでくださいねw


それでは、一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。




トラウマ?・・・ありますよ。 [ネガティブ処方]


みなさん、こんにちは。

春の兆しが日に日に高まっていますねw

1か月前までは、「寒い!」を連呼?していましたが、
春の気配がこなれてくると、いつのまにか何のことやらです(汗)

まあ、人間って、こんなものなんですね。

良い悪いではなく、慣れの動物の本領発揮なわけです。


そんな季節の移ろいの中で、今回のテーマです。

トラウマですね。

最近?重めの話が多いですが、ここの情報は「いつか」役に立ったりしますので、
通るべき過程として取り上げたいと思います。


私は一人でも多くの方に、自分らしい人生を送って頂こうと活動していますが、
ネットで情報を探せば、同様のお手伝いをしている方が沢山います。

その多くの方が、「前向き」な情報発信の形を取っています。

勇気づけようとするのですから、手伝う側が「後ろ向き」では、
導きにならないわけですね。

まあ、当然なことですが、

あなたは、こんなことを感じたことがありませんか?

「この人(発信者)って、順風満帆できたのかな?」って。


私の場合、「親近感」とか「共通の思い」などを気にするので、
極端に言えば、正論や理想論を並べた100点な話には
いささか、違和感を感じてしまいます。

なので、酷い?経験をしてきたのに、これだけ立ち直っている・・

そんな「歴史」と自分の現状などがオーバーラップするほどに、
親近感や「信頼」を構築していきます。

余程のビッグネームかカリスマ性がない限りは、
「不幸自慢」が凄いほうが「自分でも大丈夫なのだ」と安心できるのです。



さて、前置きが長くなりましたが、
私の場合、どこにでもいる一人の人間に過ぎず、
人生を導いたり、スピリチュアルを語ることに
何の優位性も持ち合わせていません(汗)

むしろ、あなたと比較すれば、「軌道」から外れた
「可哀想」な半生を過ごしているかもしれません。


しかしながら、それが「売り」なんです。

「この人に比べればマシ」、そう思ってもらえれば、

自分もまだまだ捨てたもんじゃないな・・って感じるでしょ?w


そんなわけで、前向きよりも困った感の多いテーマ設定は、
意図したことなんです。

今でこそ、「自分らしい成功の道」に乗れた私ですが、

当然のこと?ながら「嫌な思い」を沢山してきました。



トラウマだって、ありますよ・・未だにね。

トラウマという言葉がフィットしているか、
解釈が皆さんと同じかどうかは分かりませんが、

過去の辛い経験を記憶から削除はできないのは確かです。

特に、今頃の季節は、数年前なら「どん底」の時期でした。

文字通り、いや、それ以上のどん底です。

多額の債務を背負い、月末の支払いの目途も立たない日々を過ごしていました。

やりくりなんて無理、どこもお金を貸してもくれない・・・


ほんと、今でもゾッとするトラウマです。


王道的なスピリチュアル系や成功系のノウハウだと、
「受け入れる」とか「昇華」させることで解決すると言います。

勿論、私もそうお伝えしています。


でもね、そんな簡単にできることではないのです。

ただ、「どん底」がゴールでもない。

人生は終末まで継続していますから、
「今」がこの先もずっと続くのではないわけです。

しかしながら、「見えない先」について、
現状を踏まえて推測するのですから、

「良い未来」を描くことはとても難しいです。


にも関わらず、前向きに・・、とか、希望を持って・・とか、浸み込む訳もない。


今のあなたはどうですか?

どん底でなければ、希望に目を向けることができるかもしれません。


一方で、以前の私のような境遇にいるならば、
どんな良心的な言葉であっても素通りしてしまうことでしょう。


意識を変えようとしても変えられないなら、「浸かる」しかない。

これは私が取った結論です。


変な話、最悪のことまで考えながら、
続く限りの人生を全うしようです・・語弊のないように。


世間体とか、社会的地位とか、生活水準の維持とか、

そんなものを気にすることなど到底不可能なので、
一日、一日を生き延びている、という感覚です。

毎日、借り物の身体を使って過ごしているかのようでした。


言葉以上の説得力を感じるカウンセラーなどは、
こんな経験をしている人が少なくありませんが、
あまり語りもしません。

理由は、波動の低下だとか、勇気付けるとか色々と思いますが、
結果的に「きれいごと」の羅列になってしまい、
聞き手の心から距離を隔てることになってしまいます。

「良き相談相手」であろうとする故のこととはいえ、
あるところから奥に入れない、響かなくなってしまうのです。

本当は、「経験談」があってこそアドバイスが生きてくるのですが。


私は、自分が大そうな者でないこと前提ですし、
「不幸自慢」が持ち物と自負しているので、

こんな心機一転な時期であっても、
過去のトラウマ回顧を普通にお話します(汗)w


さてさて、あなたにトラウマがある場合ですが、

払拭しようなんて考えなくて良いと思います。


わざわざ、大事にする必要もありませんが、
先ほどもお話したように人生は続いていくものです。

あとになって、「あの時は大変だった」と振り返ることもあるでしょう。

そうなれば、実は「解決」しているのです。


記憶は削除できないのですから、
どう付き合うかだけの問題です。

思い出したくもない、から「いやあ、ひどかった」でも変化があるわけです。


私達の人生において、「無駄なことはない」という捉え方。


辛いことも嫌なことも、経験すべきことだったのだと思えたとき、
「昇華した」という言葉を使えば良い。

期を待たずして、無理矢理に解決してしまおうなんて、
不遇の時を与えた神の意志に反することかもしれません。

とはいえ、ドップリどん底の渦中にあっては、
今回の話なども戯言としてスルーしてしまうでしょう。

それどころではない!ってね。


それでも、後で、振り返ることができるようになったら、
今一度、読み返して頂きたいと思います。


そして。


今のあなたが、私ほど「ひどくない」なら、

「あいつよりはマシだな」って、安心してくださいw


多少の不遇はあっても、「余裕」を感じてください。

その余裕を後ろ盾にして、前に進めば良いのです。


上には上がいるように、下には下がいますので、
どうぞご安心くださいねw


辛さと共に胸が締め付けられるような感覚。
私もずっと、忘れることは出来ないでしょう。

でも、それ以上のことも起こるという事実。

これからも刻々とお伝えしたいと思います。

躓きっぱなしが人生ではありませんよw


必要な経験は一方的なネガティブ事象ばかりではありません。


今回はかなり深めのテーマになりましたが、
忘備録としてストックして頂ければ幸いです。

勿論、小さなきっかけから大好転なんてお話しも沢山ありますので、

使えるものはバンバン取り入れてくださいねww


それでは、今回も一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。








追い詰められたとき [ネガティブ処方]


みなさん、こんにちは。

3月もいよいよ終わりですね。

4月からは新年度でもありますが、
大晦日と元旦もそうですが、端的には「昨日と今日」です(汗)

こう言うと、しらけてしまいますが、
物事は解釈次第ですから、心機一転が自助力を促すのであれば、
大いに「理由付け」するべきですし、

既に「波に乗っている」ならば、そのまま突き進めば良いと思いますw


今回は、年度末で多忙を極めている方へのワンポイントです。

多忙=やることがいっぱいある、だとか、時間が足りないなどの状況にあると
思いますが、どうにしても手も頭も一杯ですよね。

この追い詰められた状況をどう解決するかは、「黙々と熟す」に尽きると思います。

おそらくは、周囲にも助けに応じる余裕もないでしょうから、
年度末とは「そういうもの」というオチを使うのが得策です。

少々、いい加減ですが、オチがあるだけマシなんですよね。


さて、一方、仕事などでなくても「追い詰められる」ことがあります。

自分の進路の判断であったり、支払いの期限が迫っているとか、
いろいろとあります。


そんなとき、どうしているかと言えば、
自己の内面で葛藤を繰り広げています。

どうしたらよいのか・・・

どうにもならない・・

こうだったらよかったのに・・

なんでこうなっているんだ・・

などなど、「隙間」の時間をフルに活用して格闘します。

そして、途方に暮れてしまう。


これ、実は私の回顧です(汗)


最終的には、考えてもどうにもならないので、
出来ることに無理矢理に意識を向けて、
どうにもならないことから意識を離そうとします。

それは、とても苦痛な時間の積み重ねであり、
こんな心境がずっと続くのかと思いながら、
うんざりした日々を送るのですが、

「無理矢理」な時間も数日続くと、慣れが生じ始めます。

最初は無理矢理で「やるしかない」状況であっても、
それは、やっている(継続)という形に変化を遂げていくわけですね。

これは、言い換えると、考えるから行動へとシフトしたことになるのですが、
多くの場合、そのことには気づいていません。

意識として残っているのは、「少し楽になった」くらいでしょう。

しかしながら、この「楽になる」ということはとても大きな進歩なんですよね。

だって、「ダメだ」と悩み続ける段階から抜け出したことで、
起こる変化なのですから。

そして、この状況の変化を俯瞰できる余裕が出来た時に、
「やれば変わるんだな」なんて、涼しい顔をしています(汗)

その時は、地獄の極地と思っていたのに。


今回は何が言いたいのかというと、

「追い詰められる」のは、「プログラム通り」ということです。

私達は、良くも悪くも変化を嫌います。

それが、願望の達成に関わる変化と分かっていてもです。

未だ起こってもいないことへの詮索を得意としているばかりに、
「頭でっかち」な時間を延々と繰り返すことをスタイルとしているのです。

でも、当然のことながら、それでは何も変わりませんので、
問答無用に動かざるをえない状況まで引き延ばした後に、
関が外れたかのような状態になるのです。

勿論、これは私のような人間の例ですので、
行動第一でテキパキと動ける人もいると思います。

では、私のような不出来な人間の行動様式は悪しきものなのかというと、
そうではないのですね。

同様の方はご安心頂きたいのですが、
人それぞれにスイッチの入るタイミングは異なりますので、
その人に合った形で最適なタイミングが訪れるのです。

とは言うものの、「もっと早くに・・」などと思うもので、
動いたら動いたで、後で後悔の嵐が吹き荒れるのですが、

「終わり良ければ」で済ませて頂きたいと思うのです。


だって、悩んでいる時は、それで一杯なのですから。


私は今でもゾッとするのですが、
どうにもならないのに金策に走り回ったこともあり、
直近の悪い「未来」ばかりが脳裏を支配していました。

「どうにもならないのに」です。

胸が締め付けられるような息苦しい時間を重ねながら、
それでも、そこから離れることができませんでした。

そして、散々に悩んだ挙句に、

「どうにもならない」と分かったのです。


そこから先は、最善を尽くすことしか出来ないのですが、
そう納得して尽くしたわけではありません。

先にも述べたように、気持ちを紛らわすために、
出来ることを続けたのです・・苦痛と共に。


何度思い出してもゾッとする記憶ですが、
二度と「そんな思い」をしたくないと感じて、

出来ることから動いてみることが、
「悩みの支配」を防ぐ方法と理解しています。

勿論、根本的な解釈の仕方も心得ることができたので、
今、こうしてお話しができたり、
全ては最適とお伝えできるのです。

私達が経験することに一切の無駄はありません。

時に、自分の不注意や不出来によって招いたピンチであっても、
それは経験すべきことであったのです。

例えば、事前からピンチを回避しながら過ごしていても、
あらゆる現象を駆使しながら必要な経験をすることになるのです。

それが、受け止めらるようになった時が、
実は経験の先にある「成長」なのです。

「追い詰める」という、半ば嫌がらせの味わいが意図されたのではなく、

メンタルを強くしながら、最適な形で成長させるのが狙いなのです。

誰の狙い?・・自分自身であり、創造主であり、宇宙であり、神であり、

魂の成長という人生の目的です。


人生は魂の成長の場ですので、
歩みの中で、色々なことに遭遇するのですが、
同じ失敗はしないとか、簡単に達観などはできませんよね。

だから、追い詰めれたって良いのです。

それが仕組みなのですから。


もっと早く、どうにかなったのに、なんて思うことはなく、
追い詰められてこそ、気付きが得られたのだと解釈してみる。

なかなか、はいそうですか、とはいきませんが、

それでも、「お尻を叩かれたけど踏ん張ったのだ」と思えることが大切です。


今、この瞬間にも追い詰められている方がいると思います。

とても苦しい時間が続いているかもしれません。

でも、その苦しみを見ている存在があります。

「馬鹿だな」ではなく、微笑ましく、応援の眼差しで見ています。

それは、自分自身です、神様だって見ています。


掛け算を間違えながら必死に覚えようと努力している子供を
頑張ってるな、と微笑ましく見守っているのと同じです。

「なんで、そんなのが出来ないんだ」なんて思いませんよね。

頑張るとか、失敗という言葉はあまり使いたくないのですが、

頑張れば、直ぐに何でもできるわけではありませんし、
失敗しながら成長していくのが人生です。

出来なかったことが出来るようになる、
その繰り返しで、今日まで来たのですから、

これからだって一緒ですw

駄目な自分を味わい尽くした先に、
自分だけの成功が待っています。

「追い詰められる」のは、そこに至るための大いなるステップです。


悩むな動け!ではありません。

悩み尽くして、追い詰めれて、その先がある。


通るべくして通る道なら、ジャッジなしで行きたいものです。

悩みの渦中にあって、そうは思えなくても、

そこで終わり、ではないということ。


是非、心に留めて頂きたいと思います。


「お先真っ暗」が人生ではありませんので、

一見、地道で、「これで何が変わるの?」と思えても、

あなただけのタイミングで、また歩き始めてくださいね。

私は、いつでも応援していますw


そして、自分の幸せを手に入れましょう。


それでは、一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。







困ったら「そんなもん」と言ってみる [ネガティブ処方]


みなさん、こんんちは。

春の訪れは待ちにまったものですが、
現実社会で働く方の中に期末で多忙を極めている方も多いと思います。

私も、サラリーマン時代にお役所相手の仕事をしていましたので、
報告書の作成や原稿の手直し、諸々の雑務などで徹夜続きでした。

今、思い出しても、よくやっていたなと思います。

みなさんも、壮絶な時間を過ごしているかもしれませんね。


身体も頭も一つなのに、どうにもならない案件は多々ありで・・


今もそうですが、そんな「どうにもならない時」って、
一つのことを突き詰める時間がないわけで、
より重要度の高いものに注力するのですが、
費やした時間や労力と結果が伴わないのはよくある事です。

相手のあることなら尚更で、
お客様の意向次第で振り出しに戻ったり、
詰めの段階で困難を極めたりもします。

そして、「こんなに時間を割いたのに・・」なんてね。

こうなると、一気に脱力してしまいますよね。

人によっては病んでしまったりもします。

ただ、その案件に携わる人間からすれば、
良いものに仕上げたいとの思いから起きることであり、
誰が悪いでもないのが質の悪いところです。

では、どう対処するかですが、
最善を尽くしたら、あとは委ねるです。

そして、次の展開があることを想定しておく。


要は、自分のコントロールの及ばないものに肩入れしても、
望む結果は、一方的な希望にすぎないということです。

そして、気持ちが入れ込むほどに、裏腹な結果へのショックは大きくなります。


とはいえ、ショックに浸っているほど悠長ではありませんから、
グズグズしていられないのが厳しいところです。

まあ、世の中「そんなもん」と言えれば終わりですが(汗)


現実に、私たちは打ちひしがれた事から立ち直らなければならない時、
強制的に「そんなもんだろ」と思うようにしています。

そうすることによって、振り出しに戻れたりするからです。

追いかけても仕方のないことと悟ると、
強制的に手放すのですが、その締め言葉が「そんなもの」です。

経験から得た感情のリセット方法でもありますが、
これって「仕方のないこと」ではないのです。


そもそも、コントロールの利かないことについては、
気持ちの肩入れも程々にしなくてはなりません。

他にも時間や労力を割くことが沢山あるのですから。


そう意識できれば、最善を尽くすまでが、先ずはのゴールと据えられます。

結果や評価は相手に委ねる部分ですので、
人事を尽くしたなら「そんなものだろう」で締めてみます。

誤解の無いようにしたいのは、
悪い意味での「適当」ではないということです。

手抜きをしたから、「そんなもの」と予測するのではありません。

あくまでも、最善を尽くした先のことです。

私たちは、願望の達成というゴールを目指して歩いているわけですが、
その道中にあることは、全てが「景色」になります。

一見、関係のないこと、例えば、趣味と仕事などについても、
同じ「道」の中にある景色ですので、全く関係がない、ではありません。

その証拠に、仕事で失敗したりすれば、
感情の部分では他の場面に引きずったりします。

逆に仕事以外の場面で良いことがあれば、
仕事への取り組みも余裕が出たりします。

以前から真面目な人ほど、
負のスパイラルに陥りやすいと言っていますが、

物事を突き詰め過ぎると、思い入れが強い分だけ、
意図せぬ結果に感情が影響を受けてしまうのです。


話を戻しますが、「そんなものだろう」という考え方は、

自分の権限の及ばないことについて、
フレキシブルな対応を可能にさせます。

心が凝り固まっていないだけで、
次の展開を受け入れたり、気付きを拾いやすくなるのです。

「こんなに手を尽くした」という取り組みは、

しっかりと経験になっています。

それが活きるのは、
自分の考えているストーリーとは別なのかもしれません。

あなたのサクセスストーリーは、思っている以上に壮大な物語です。

最善を尽くしたら、あとは手放す(=結果はそんなもん)

強いて言うなら、良い結果だけ大いに喜ぶです。

そこは都合良くです。

だって、いつも感じていたいのは「良い気分」ですから。

いつも囲まれていたいのは「良いこと」なのですからね。

優先すべきは、気持ちが下降しないことです。

そんなもんでしょ

大丈夫

何とかなるさ、などなど

どれも、どん底から這い上がった人達を助けた言葉です。


一般的には、無責任な言葉とされてしまいがちですが、
そうではないことを知るには、実体験が必要なのかもしれません。

でも、あなたは既に知りましたので安心してください。

自分を窮地から救ってくれる言葉ですので、
行き詰ったり、ショックを受けたときに使ってみてくださいね。


それでは、一滴追加です。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。






後悔は学び [ネガティブ処方]


みなさん、こんにちは。

春と言えば、出会いと別れ、卒業と入学など、
区切りの季節でもあります。

今回は、ある方の吉報から取り上げてみますw


この方は、長らく勤めた会社から新しい会社へと転職されました。

といっても、諸般の事情で新しい勤務先が決まるまでに、
一年近く時間を要してしまい、ようやく収まった感じです。

この間、身の置き所のない不安を伺い、考え方の提案などしていたので、
吉報を聞いて嬉しい限りです。

改めてこの方の一年を振り返ると、後悔が多かったですね。

当初の予定が狂い、キャリアに「穴」が空いたから始まり、
年金の受給額が減るとか、おおよそ、今まで通りの場合との「比較」です。


それでも、思うところがあっての路線変更なのですし、
どれも魂の成長に織り込み済のこととお話してきました。


そして、ようやく「春」のタイミングで落ち着く運びになったのですが、
印象的だったのは、人への接し方の後悔でした。


その方曰く、

「毎年、春になると新人が入ってくるけど、接し方が雑だった」と。


忙しい毎日の中で、仕事に精通している自分にとっては、
「素人」は邪魔な存在だったというものです。

余裕があるときは、親切に指導することが出来ても、
段々と粗雑な対応になってしまったことを後悔されていました。

それを、自分が「新人」になったことで、痛感されたのです。


これは、他人事ではないんですよね。

普段の生活でもあることで、お店の店員さんへの態度などがそうです。

そこでは「お客」かもしれないけど、
ある場面では逆になったりもするわけです。

そもそも、損得勘定で振る舞いが変わるのはおかしな話ですが、
誰もが人(=魂)と対していることを理解できれば、
傍若無人、横暴な振る舞いもなくなると思います。

とはいえ、キレイごとと言えば、それまでの世の中です。

それでも、「こうしていれば良かった」と後悔することは、
ネガティブなことではありません。

というか、立派な気付きです。

問題は、気付きが活きてくるかどうかです。


今回の方の場合は、
新卒でもない自分に親切に接してくれる同僚達への感謝が滲んでいました。

これって、微笑ましいと思いませんか?

「そんなの当たり前だろ」という意見もあると思いますが、
毎日が学びの連続ですから、年齢やスキルによって、
学びの項目が決まるものではありません。

なので、何をどんなタイミングで学んでも、
恥ずかしいとか当たり前とかはありません。

それに知らないよりも、知識と振る舞いが伴わないよりも、
ずっと成長しています。

今回のことで言うなら、人への接し方になりますが、
あなたの学校や職場でも新人さんが入ってくるかと思います。

彼らは、何もしらない状態で不安でいっぱいでしょう。

そんなとき、あなたの優しさがどれほど心強いものになるか。

自分が躓いてしまったことや、不安になったことを、
先人として伝えてあげてください。

それは、あなただけの貢献なのですから。


私たちが発信するのものは、それ相応の大きさとなって廻ってきます。

評価や損得ではなく、自らの幸せのために種を蒔くことになります。

後で気が付いて恥ずかしく思っても、そのときだけのことです。


自分が成長することが貢献に繋がっているとしたら、
貢献の先に、さらなる幸せが待っているとしたら、
自分にも周囲へも優しくなれるのではないでしょうか。

出会いの季節はチャンスの時でもあります。

環境の変化で、今まで出来なかったことも、
やりやすくなったりします。

春を有効に活用してみてくださいねw


それでは、今回も一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。








罰が当たる? [ネガティブ処方]


みなさん、こんにちは。

今回はワンポイントレッスンですw

ある知人(Aさん)との会話を紹介します。

最近、Aさんの身内でトラブルがあったそうで、
それを「自分のせい」と気に病んでいる話をしてくれました。

ただ、話を聞いていると、身内といっても長らく会っていないし、
Aさんがらみのトラブルでもありません。

それにも関わらず、「自分のせい」と捉える理由は、
自分の生活が思うようにいかない中で、
ふと、何かの際に、トラブルに合った身内の方が話題になり、
その次の日にトラブルが起きたとか。

???

どうやら、Aさんは自分の主観に過ぎない「負い目」のようなものが、
接点のない身内のトラブルに繋がっていると感じたのです。

ネガティブな自分のせいで、身内のトラブルを引き寄せた・・です。

そして、身内としての不幸の共有=「自分への罰」と解釈しています。


みなさんは、既にお気づきかと思いますが、
これ、罰ではないですよね。

というか、「罰があたる」というのは、一つの考え方に過ぎません。

実際に「罰」と感じることがあった際、
既に心のどこかで「罰」を想定している、
あるいは心配していることで、

有事の際にスピーディーな「罰反応」としてピンと来るわけです。

そう、引き寄せているのです。

因果応報とかより、引き寄せの法則を活用しているのです。

良心や正義感を掲げて生きていると、
悪しき行いには罰や報いがあることを前提にしますが、
実際、どの程度「実現」しているでしょうか。


周りにこんな人がいるかもしれません。

傍若無人に好き放題やっているように見えるのに、

「いつになっても罰が当たらない人」。

「あの人、そのうち、やらかすぞ・・」なんて思いながら見てるけど、
一向に罰の当たる気配もなし。

そうかと思ったら、こっちが嫌な目に合った・・なんてね。


好き放題やってる人に罰への恐怖がないのですから、引き寄せようもない。

仮に何かあっても「罰」なんて思ってないので、
簡単にスルーしてしまう。

一方、他人事とは言え「罰」という恐怖やネガティブ思考を持つ自分には、
それ相応のことが起こってしまうわけです。


また、「自分のせい」という視点を気にすると、
他人の人生に肩入れすることになります。

自分の人生が誰かに影響を与えないようにと思い、
周囲を気にし過ぎていると、人生の舵取りを放棄してしまいます。

他人の人生に肩入れし過ぎてはいけない、とは、
言動や行動とともに自分の心持ちにも言えることです。

誰しも、人生の主役が務まるのは自分のみです。

他人の人生を生きることはできません。

万人が同じ価値観で同じ人生を歩くのではありません。

関わる人は自分にとっては脇役、
でも、相手にとって自分は脇役。

その兼ね合いが上手く整っているのが宇宙、
あるいは神の采配の妙です。

「それなら、この人の人生のテーマは何?」と思うかもしれませんが、
それは、余計なお世話です・・端的ですが。

傍目には「苦労の連続の人」、「恵まれた人」もテーマはそれぞれ。

今回のテーマが、生を受けることの人もいます。

私たちが考えるべきは、自分の人生を主体性を持って生きることです。


他人に対する自分の行いが気になったときは、
「気にしてしまう自分」に気付く機会かもしれません。

もっと自分らしく、遠慮なしに人生を送る。

そんな気持ちを忘れないでくださいね。


それでは、今回も一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

誰にでもある好不調の波 [ネガティブ処方]


みなさん、こんにちは。

最近は日差しが強さを増していますねw

春の訪れは三寒四温と言いますが、
寒暖と共に乾燥していた日々から雨の降る日も増えています。

私は「やっと、季節が変わるなー」なんて思うのですが、
たった?それだけでも心持ちが変わったりもします。

あなたもありませんか?「今日は気持ちの良い日だな」なんてこと。

今回は、日々のふとした変化と私たちの「調子」について取り上げてみます。


「好不調の波」ですが、
最近調子悪いなー、なんてことがあると思いますが、
私たちは毎日が初めての連続なので、過去からの「調子」と、
今日を関連付ける必要はありません・・極論ですが。

とはいえ、そうもいきません。

会社や学校に行くのは「毎日同じ」ですから、
当然、続きとして考えてしまうものです。

今日はリセットされて始まったにも関わらず、
昨日までが不調なら、今日も割引スタートになりがちです。

これって、勿体ないに尽きるのですが、
負の状態に慣れていると、「好調」の認識は難しいのです。

「慣れ=癖」はあるにしても、
四六時中「不調」かといえば、そうでもありませんよね。

一日の中でも、波はあります。

「どうして、自分だけ・・」ではなく、誰にでもあるのです。

当ブログでも「悪癖には注意」と申し上げていますので、
ご理解頂けると思いますが、

自分の意識の傾きを理解できれば、まずはOKです。


さて、好不調と言っていますが、
具体意的には心の状態のことです。

気が乗るとか乗らないとかですが、
起こることに良し悪しのジャッジをしても、
結局は意識がどう受け止めるかになります。

嬉しいことも喜べなければ「良い」にならないですし、

気持ちが高揚している時は、
ちょっとしたトラブルも良い方に解釈できるものです。

ということは、目を向けるべきは、「気持ち」です。

そして、気持ちの高低が誰にでもあるのなら、
やるべきことや考えてみたいことを「気乗りする時」に行うのが良いのです。

当たり前に聞こえるかもしれませんが、
その当たり前が出来なくなってしまうのが悩みだったりするのです。

気持ちの乱高下というと、
なにか病んでいるように思えますが、そうではありません。
・・誰にでもあるのです。

株や為替の取引みたいですが、
気持ちを上手く利用できる人は、
好調の波を持続することにも長けていますので、

不調の時間よりも好調の時間が長く感じます。

そして「正のスパイラル」に突入するわけです。


まとめてみますと、

誰にでもある好不調の波を客観視できるかどうか。

さらに、

好調時を有効に活用できるかどうかです。

一日の中に幾度もある好不調。

不調と言うとネガティブな感じですが、
便宜上の言い回しと思ってくださいね。

仕事などでは「気乗り」も何も容赦ないですが、
自分のことを考える、行動する際には融通が利くと思います。

「私はいつも気分が低空飛行だよ・・」という方もいるでしょう。

そんな時は、

「それなら、どうしたら上向くの?」と

自分に問い掛けてみてください。

少しでも上向く方法が確認できたなら立派な収穫です。

そして、少しでも気持ちが上向いたら、
これからの自分に必要なことに思考や時間を投資してくださいね。

「だめだ、今は何をやっても上向かない」と思ったら休んでください。

走り続けると疲れます。

好きなことに打ち込んでいても休養は必要です。

ストレスの溜まることなら尚更です。

仕方のないことと無理を強いていれば、

一日の中にある、小さな好調に気付けませんから、
有効に活用することも出来ません。

その顛末は、無気力の常態化です。


良くなりたい願望ある人なら、
気持ちとのギャップに悩んでしまいます。

「なんで、出来ないのだろう・・・」ってね。


よく、「無理はしないように」と言っていますが、
我慢や無理を強いることで被る心と身体の負担は言葉では言い表せません。

ここはぶっちゃけてしまって、

不調なときほど「無理はしなくて良い」と意識してください。

都合よくは行かなくても、そう思うようにしてみては如何でしょうか。


誰にでも気持ちの有り方に変化があると思えるだけで、
ガス抜き効果が得られます。

そして、疲れ切っていると感じたら、
ちょっと「気持ちが回復した時」に、

気持ち良いを増幅できるようなことをやってみてくださいね。

「波に乗る」という言葉もあります。

大きなものばかりが波ではありませんよね。

小さな波は頻繁にやってきますし乗るのも簡単です。

波に逆って疲れるよりも、来た波を利用するほうが理に叶っています。

あなたが意識するのは「感じること」と「乗ること」です。


好不調の存在は良し悪しではありませんが、
仮にそう考えてしまうなら、

どうやって好調に乗るかを考えてみましょうw

誰にでもある好不調の波。

「あの人、いいなあ」と思える人がいたら、
上手く乗っているのかもしれません。

そして、今度はあなたの番です。

誰にでもあるから誰にでも乗れるのです。

自分の中にある気持ちの変化。

まずは有効に利用しましょうw


それでは、一滴追加です。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。






















グズではいけないのか [ネガティブ処方]


みなさん、こんにちは。

今回は私のこと・・グズです(汗)

私は今でこそフットワークが軽くなっていますが、
その昔?はグズの見本のような人間でした(涙)

何かをやろうとしても、
いつしか「なかったこと」になっていたり、

動けたとしても、相当な時間を要したり
限界まで引っ張った挙句にお尻を叩かれたりです。

酷いのは動けるまでを「逆算」するようになったりと、
まあ図々しい人間でした。

もっとも、仕事や相手のあることについては、
ちゃんと?動けるので、

要は、一番大切な自分のことがいい加減だったわけです。

そして、こう思うのです。

「あの時、やっていれば・・」とね。

まあ、数えきれないという言葉がぴったりなくらいあります。

何事も始めるのに遅いも早いもない、と分かったのは救いですが、
それでも、「あの時・・」と思うことだってあります。

ただ、時間を要しても、

「あの時はできなかった」

「今だからできた」に落ち着く「癖」があるので解決しています。


あなたはありませんか?

できない自分を責めること。

ウキウキしながら計画を立てて、
やろう!と思ったはずなのに、結局、動けていない経験。

ほんの些細なことなのに、未だできていないとか。


でもね、それが自分なんですよw

出来の悪さを感じてしまっても、それすらも自分の一部なんですよね。

都合よく解釈するなら、「発展途上」で良いのです・・事実ですw


良くも悪くも、成長に必要なことは、
クリアするまで、時と事象を変えて何度でも起こります。

言われたことを一度で理解する子もいれば、
何度も言われながら理解する子もいます。

それを能力と言うのは全ての正解ではありません。

何度も言われることで、一度でよりも理解の深度が深いかもしれませんし、
物分りの速さで「人間」の優劣が決まるのではありません。

というか、優劣なんかないですからね。

今回のように「グズ」でいうなら、
そんな特徴があるのですよと、
自分を理解して受け入れる機会と解釈できるのです。

「グズ=やらない」は一時に表面上の解釈に過ぎない。

もっと深い部分に「自分を知る」目的があると理解する。

そんなことが大切なのではないでしょうか。

自分のことは自分が一番分かっていると思い込む前に、
自分の幅や深さは尋常ではない、くらいに思えると、
隠れている可能性も理解できるかもしれませんよねw

自分を知らずに自分らしいは語れません。

自分らしくありたいと願うことで、

「OK、それなら先ず、自分を理解しましょうね」と、

宇宙が手を差し伸べてくれていると思ってみてくださいww

マインドセットを促すグズの自覚。

目指すは、自分らしい人生と、そのための引き寄せの活用です。

目の前の誤解や浅い解釈を蹴散らして、
大いなる願望に向かって行きましょうねw

目線が近くなると、余計な罠に陥ってしまいますが、
大きなゴールと途中にある小さなゴールを持てば、
よそ見をする暇がなくなるものです。

それが没頭であり集中するということですので、
自分の向いたい先が見えたら没頭してくださいね。

いつしか、クヨクヨしていた自分が、
「なんだったの?」になったりします。

そうなれば、占めたものです。

繰り返しますが、グズは悪ではありません。

出来ない自分も悪ではありません。

気に入らないと感じることを、
受け入れることで補完されていきます。

全ては最適と思ってみては如何でしょうか。

へこんでしまい嫌になった時ほど、
最適で締め括ってみてくださいね。


それでは。また一滴追加です。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。










ネガティブ思考を利用しませんか? [ネガティブ処方]


みなさん、こんにちは。

寒い日が続いていますが、日差しに強さが出てきましたねw

時間が経つのは早いものですが、
あなたの引き寄せは効果が見えてきたでしょうか?

そんなに簡単には・・という声が聞こえてきそうですが、
となると、ネガティブ思考と格闘しているかもしれませんね。

今回は、そんなネガティブ思考について、
改めて「簡単」に考えてみます。

テーマは「ネガティブ思考の利用」です。


ネガティブ思考と一口に言いますが、
内訳としては「こうありたい」のに、その為にどうするかよりも、
逆に思考してしまうという感じが多いと思います。


要は、悪い方へ考えてしまうということですが、

よく考えてみれば、「良い(=望む)」があるから、
それとの対比として「逆(=ネガティブ)」になる、ですよね。

ということは、ネガティブ思考の裏側に、
ポジティブな面を持ち合わせているということです。

ある、理想の形を持っていたとき、
実際は、それとかけ離れた状況であっても、
比較対象があることで、「それとかけ離れた状況」を認識します。

もう、お分かりと思いますが、
実は「前向き(望むもの)」が存在しているのですよね。

ただ、「こうありたい」から「離れた状況」にフォーカスしてしまうので、
あたかも、望まないことしか無いように錯覚してしまうわけです。

ここで、確認したいのは、見過ごしている希望の存在です。

どんなに上手く行かなくても、
望むものがあるという事実は認識しなくてはいけません。

望むものがあってこその「上手くいかない」なのです。

何の目標もなく過ごしているなら、
現状に良いも悪いもありません。

願望への欲求が大きければ大きいほど、
それとの対比に対する評価も大きくなります。

どうでも良いレベルの願望なら、
それが叶うかどうかも大して気にならないでしょう。


ということで、今一度、意識して頂きたいのは、
ネガティブ思考の比較対象としてある「願望」の存在です。

悪い方へ意識が傾くほど、
本当に願うことは大きいのかもしれません。

こう解釈することで、
ネガティブ思考を願望の強さを計る物差しにしましょう。

言葉への嫌悪に囚われずに、
願望を計る物差しツールが「ネガティブ」と呼ばれていると考えてみましょう。

我々は、事象の確認などをするために比較対象を用います。


言い換えると、両極とか二面性というものです。

昼と夜、表と裏、白と黒、上と下、過去と未来などなど。

どれも片方しか存在しなければ、一方の存在や違いを認識できません。

寒い日だけでは暖かい日があることも分かりませんし、

寒いにも「少し」とか「とても」などがなければ、
どれほど寒いかは分かりません。


また、一方に「肩入れ」すると、善悪などのジャッジに繋がりますので、
「これがあるからあれが理解できる」というような汲み取り方が必要です。

物事は解釈次第と言っていますが、

「また悪い方に考えてしまった」と捉えるよりも、

「〇〇ということは、望んでいるのはこっちだな」と確認してみる。


それが、いつも同じことの繰り返しになっても構いません。

状況が変わるタイミングは人それぞれです。

満を持して変化して行きます。

ただ、そのためにはフォーカスする対象を間違えないこと。


更に、

「あの人は上手く行ってるのに自分ときたら・・」と

「あの人が上手く行っているなら自分も・・」の違いも認識しましょう。


フォーカスする対象を決めたら、プラスひとひねり加えるのです。

端的に「都合良く」ということですが。


自分と他者とを比較してしまうなら、
羨ましいと思うのではなく、

自分の願うものを確認しながら、
他者の成功に「自分にもある可能性」を感じてください。


物事が上手く行かない時は、どうしても視点が近くなりがちですが、
そんな時にこそ、もっと深い部分を照らし出してみましょう。


ネガティブ思考の存在を苦にするのは視点が近い証です。

ネガティブ思考にも「物差し」としての役割があると思えれば、
その先にある願望にスポットライトが当たります。

「災い転じて福をなす」には、
ネガティブの存在を受け入れることが重要です。

そもそも、受け入れることで問題が解決していくのですから、

ネガティブ=悪と感じてしまっても「必要悪」と置き換えて、
「自分にはそんな面もある」と受け入れてしまいましょう。

「ああ、まただ・・」と気に病むネガティブ思考も、
利用することができるのです。

如何ですか。

いつも「また悪く考えちゃったよ」となるなら、

「では、何が望みなの?」と自分に問いかけてみてください。

そこには、自分で思っている以上に優秀な自分がいます。

ネガティブ思考の奥に潜む願望の存在。

いつでも確認できますので、
フォーカスの対象を変えてみてくださいねw


それでは、また一滴追加です。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。












負のループに陥った時のサイン [ネガティブ処方]


みなさん、こんにちは。

以前、「夜は怖い」というお話をしました。

最近でなら、「夜に一日を完結(リセット)する」とお話しました。

夜って、なかなかの曲者ですよね。

今日という一日の全てが良からぬ・・ではないのに、
一日の終わりである夜になると、
嫌なことを増幅してしまい、「嫌な一日」として終わらせます。

こんな時にの意識としては、
「わかっているけど・・」だったりしますよね。

そう、「夜の今この瞬間」は分かっているのです。

ただ、その瞬間以外では忘れてしまっているのです。

結果、多くの時間を「重たい空気」で過ごすことになります。


では、どうすれば良いのかですが、
単純に「この瞬間を維持する」になります。

いつでも、全てが最悪ではないと理解すればよいのですが・・
思い癖が下方に向いているので、そうそう上手くは気付ない。

以上のような時間を過ごすこと=負のループの渦中にある、となりますが、
こんな状態の時って、

生活が単調になっていることが多いです。

ちょっとした気分転換などにも目が行かず、
朝から晩まで「同じような」パターンで過ごしています。

同じ時間に起きて、時刻表と1分を争ったり、
気になったお店も覗かずに、友人への返信も面倒くさい・・

身に覚えがありますか?

あれば、これが負のループです。

良くも悪くも行動や生活が固まってしまうと、
ループにはまりやすくなりますが、
逆手に取れば、こんな時こそ「はまっているサイン」と解釈できます。

良くも悪くも、と言うのは、

好調な時の生活パターンを続ければ、良い状態が維持されそうですが、
今度は「そこから外れるとヤバい」みたいな恐れを誘発したりします。

なので、心の状態や行動パターンには柔軟性があると良いわけです。

パターンから外れると調子が狂うなら、
パターン化しないことで狂いを感じなければ良いのですが、
いつもと違うことは「慣れない」ので敬遠してしまいます。

まあ、仕方がないと言えばそれまでですが、
好まないループに陥った際には「変える行動」は取ってくださいね。

行動パターンが単調になっているかどうかは、
夜の時間でも分かると思いますので、
「どうしよう、また負のループにいる」と思ったら、
いつもと違うことを取り入れてメンタルストレッチを行ってみましょう。

私たちは思考する能力があるばかりに、
ふと気を緩めると、
何かと問題提起をしては難しく考えようとします。

一番理解しなくてはいけないのは、
難しく考えすぎないということかもしれません。

引き寄せの法則がシンプルなように、
課題も解決の糸口は単純なものが多いのです。

あえて、「言うは易し」でも構いませんが、
せめて理屈くらいはシンプルで良いのではないでしょうか。

事の次第はシンプルなのに、
必要以上に難しくしていないでしょうか。

怖い?夜の時間も、
単調な行動パターンになっていないかくらいの
確認なら出来るかもしれませんよね。

あとは、寝る時間ですから、
「深追いせずに」明日を違ったものにしよう、でよいのです。

「あれ?また同じこと考えてるよ」と気づける自分になりましょう。

負のループのサインは「単調をキーワード」にです。

そして、サインを読み取ったら、
「いつもと違うこと」を実践してみてくださいね。

一時の違和感だって、ループから抜け出せるのなら、
意識して違いを味わってみては如何でしょうか。

肩の力を抜いて行きましょうw


それでは、一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。







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