有名芸能人の離婚 [スピリチュアル]
みなさん、こんにちは。
今回は時事ネタ感ありでお話します。
テーマは「有名芸能人の離婚」です。
ああ、あれね、って思う方もいると思いますが、
今回は高橋・三船夫妻を例にさせて頂きます。
連日のように、ワイドショーを賑わしている二人ですが、
私も幾度かテレビで拝見しました。
事の次第は当事者にしか分かりませんが、
メディアの意図がどうあれ、
二人の表情からは温度差を感じます。
男性の方には、未練というか、
現状を元に戻したいという意識があるようにも感じますが、
女性の方には、メディアの声を伏せても、晴れやかさを感じます。
まだ「決着」に至っていないようですが、
「周囲」の説明を鵜呑みにせずとも、
かごの鳥が自由になった、ような印象があります。
この二方に関しては、
理想的なカップルのような印象を持たれていますので、
離婚騒動に至ると、話題性が高くなるのは理解できます。
私が思うに、良い夫婦という位置づけは、
本人達が意図して宣伝したわけでもなく、
賞を与えたりしたのも周囲の一存です。
そんな「良い夫婦」というポジションにいた二人ですが、
元はといえば、どこにでもいる夫婦です。
職業などではなく、婚姻関係という点では、
その手続き等を併せて、どこの夫婦とも違いはありません。
言わば、持ち上げられて、引き落とされた、わけです。
今回は、二人の結婚生活がどうこうではなく、
結婚を出会いと別れという視点で取り上げてみます。
良い夫婦に訪れた離婚という機会ですが、
これって、天地がひっくり返るようなものではありません。
そこには彼らからの貢献があると思います。
例えば、離婚したいと思っている方からすれば、
「あんなに仲良し?の二人だって別れるんだ」と、
ある種の勇気をもらうかもしれません。
また、自分達の夫婦関係を見直す機会を得るかもしれません。
離婚については、賛否が分かれるところですが、
私の考えでは、反対する理由がありません。
勿論、一時の感情などは除きますが、
自分らしくあることが、離婚に通じるならば、
それを引き留める理由がないと思っています。
とはいえ、当事者(家族)以外は、他人事の域を脱しないので、
「簡単に言うな」と思われるかもしれませんが、
ならば、尚更、本人達の意向は尊重されるべきでしょう。
よく「バツ〇」とかの表現がありますが、
離婚によって、真の幸せを手に入れたなら、
バツではなくマルと言っても良いと思います。
ちなみに、私の周囲でも、
自ら「バツイチ」とか言う方がいますが、
それは、自分を卑下しているように聞こえます。
私は、気心が知れた仲であるなら、「バツではない」と伝えますし、
自分の幸せを優先した勇気ある行動と解釈します。
少なくとも、一度きりの人生において、
自分の道を進むための決断で肩身を狭くなるのは、
どうかと思いますし、
世間的にも見方を改める必要があると思っています。
ただ、こうお話しすると、
残された子供はどうなる!とか、
一生添い遂げる契約が結婚だろう、などと、
ご意見される方も多いと思いますが、私はそう思うのです。
法的にみても、離婚という制度があるわけですから、
選択の機会が一度きり、とは限らないわけですし、
努力云々ではなく、うまくいくかは誰にも分からないのです。
まして、若いうちに結婚するのことを理想とするなら、
成否の判断は難しいものです。
一度の選択という点では、就職もあります。
学校の卒業と同時に会社に入るというのも、
以前なら、終身雇用を前提としていました。
「最後まで勤め上げる」のが当たり前にあっては、
転職など愚の骨頂とされ、一度、「道を外れる」と、
アウトローのレッテルを貼られてしまいました。
景気の傾きなどによって、
雇用形態などに変化が生じたため、
今となっては、転職で肩身が狭くなることは減ってきましたが、
それでも、この道一本で勤め上げることを良しとする考え方が、
なくなったわけではありません。
もちろん、職業についても、
職を変える必要性があると言っているのではなく、
どんな選択も「あり」で良いということです。
前後しますが、離婚によって「子供がどうなる」ですが、
私の友人にこんなケースがありました。
この友人は、夫婦関係が上手くいかなくなり、
当人同士では離婚したいと思っていながらも、
子供が傷つくとの思いから、数年が経過していたのですが、
いよいよ、「もう無理だな」という時に、
思い切って子供達に「離婚」の考えを話すと、
当時、小学生だった2人の子供達は、
「それでいいんじゃない」という旨の答えをくれたそうです。
子供達には、両親の繕っている姿が分かっていたのです。
そんなことを感じながら、「そこで過ごすこと」に
違和感を感じたのかもしれません。
後談で友人は、
「もっと早く打ち明ければ良かった」と言っていましたが、
私は「それは違う」とはっきり言ったのを覚えています。
ただ、「子供のことを考えた」つもりが、
一方的な押し付けであったことの例になります。
思いは伝播することの例ですが、
共有するというよりは、不快感が伝わった例でもあります。
子供から親を見る目は、
鏡と反面教師的なものであることがしばしばです。
どちらが正しいのではなく、
どれをとっても経験として積まれていきます。
以前は言い訳として使われた、
「子供のためを思えば離婚」というのも、
まんざらではありません。
なんだか、離婚推奨のように聞こえそうですが、
間違わないでくださいね。
人生を最後まで過ごせるパートナーに会えたなら、
それはとても良いことです。
でも、一度で会えないことだってあるのです。
正しいと思った選択が、そうでなかったとしても、
決して悪いことではありません。
自分の進む道ではないと感じて、
その思いを誤魔化しようもなくなったときは、
新しい選択が必要とのサインかもしれません。
そんなときに、世間体などを優先すれば、
自分の人生の舵を手放すことになり兼ねません。
結婚は端的に、
他人同士が同じ屋根の下で生活を共にするのですから、
個と個のぶつかりあいと思っても良いのですが、
「思いを同じくする」という前提が強すぎるあまり、
人生すら同じものと勘違いしてしまうのです。
そこで、気付きを得ながら、
お互いを尊重していけるなら素晴らしいことです。
でも、「違う相手」と敢えて一緒になることで、
自分の人生や本当のパートナーを考える機会を得ることもあります。
有名人のゴシップも気付きの機会になります。
今回の離婚報道から、何を感じるかが、
あなただけの気付きの機会になります。
余談ですが、有名人の方には、
自分の姿を以て貢献するというテーマが良くあります。
企業家の破産報道などにも、
生き方のヒントが隠されていたりします。
それがどんな貢献になるかは、
受け取り手次第ですが、
貢献の届け手には、多くの人への発信があるのです。
如何でしょうか。
事の善悪に縛られずに、
フラットな視点から自分の気付きを得てみる。
色々なところにヒントが溢れていますので、
ワイドショーも視点を変えて観ることをお勧めします。
それでは、今回も一滴追加です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
2015-01-24 14:00
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