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引き寄せは上手くいかないのか [日々の気付き]

みなさんこんにちは。

久しぶりの投稿になります。


最近、引き寄せ関連の情報発信が
増えているように感じますので、
少し触れてみます。


インターネット上でも書籍でもそうですが、
引き寄せそのものも含め、関連する内容など
情報の幅が広がっているように感じます。


流行り廃りの激しい日本ですが、
引き続き、存在感を保っているのは。
それだけ「需要がある」ということでしょう。

そして、少し変わったと感じるのは、
概要や仕組み等といった説明から、
発信者の視点でのノウハウなどが増えている点です。


それだけ、
「上手く引き寄せられない」という方が、
多いのかもしれません。


どんなものかは分かったけど、
どうやったら上手くいくの?、
という疑問や問題が浮上してきたわけです。


それだけ実践段階へ進む方が増えたと解釈するなら、
方法論として新たな疑問や悩み増えるのも納得です。


引き寄せの法則は不変で誰にも等しく働くものですが、
「意に沿った結果」を得るための使い方は、
個々人によって違うものであり、

人それぞれに合った方法があるというのが正確です。


それは、人により性格や環境、
願望など全てが違うことを考えれば
容易に推察できると思います。


そう考えると、一見、情報が氾濫しているようでも、
実際は全ての人が自分にあったノウハウなどを得るには
まだまだ情報量が少ないかもしれません。


引き寄せの法則=宇宙の不変の法則を理解し、
本格的に活用する段階に移ったとすれば喜ばしいのですが、
引き寄せ難民は増えないことを祈ります。


当ブログを訪問される方の中にも、
実践段階での情報を探している方は多いと思いますので、
また新たな視点からお役に立てればと思います。



最後までお読み頂き、ありがとうございました。

































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共通テーマ:日記・雑感

満員電車で思うこと [日々の気付き]


みなさん、こんにちは。

先日、朝の満員電車に乗りました。

?そんなの毎日だよ・・ですね。

今回は、満員電車云々ではないのですが、
私の会社員時代も含め、重い空気を纏った人が多いです。

「さあ、今日も頑張るぞ」なんて感じの人は皆無です。

先日、政府が「朝型勤務」を提唱していましたが、
ノー残業デーなどと同様に「絵に描いたモチ」な感じです。

朝が辛くなるばかりでは?と思ってしまうのですが、
元々、私もそんな政策に関与していた身なので複雑な思いです(汗)

さて、素朴な疑問ですが、
ストレス三昧のサラリーマン諸氏への「朗報」ってなんなのでしょうか。

私の立場からすると、うつむいた方々はクライアントの対象になるのですが、
人生コンサルという生業は、無いに越したことはありません。

とはいえ、現状を考えれば、
一人でも多くの人に笑顔を取り戻して頂きたいという願いがあります。

私は常々、自分らしくとか可能性について取り上げていますが、
先日の相談事例のように、多くの方が現状に諦めを感じています。

それでも言いたいのは、必ず道はあるということです。

困ったとき、苦しいときに参考にするのは、
過去の事例や一般論になりますが、

ノウハウ系の書籍などと一緒で、最大公約数で語られたものには、
自分の場合がフィットすることは稀です。

あたり障りのないことを語れば、「はずれ」はありませんが、
ドンピシャの「当たり」もありませんよね。

みなさんも、そんな心境で有用な情報を集めていると思いますが、
気を付けて頂きたいのは、一つの情報で全ての解決を望まないことです。

自分にフィットするものを部分的にチョイスしながら、
自分だけのノウハウを作り上げてください。


こんな言い方をすると、がっかりされてしまうかもしれませんが、
ただし、として付け加えたいのは、

私は完結できる情報を目指しています。

個別にやりとりをすることで、
一人だけにフィットするものをお届けできるのですが、
ブログなどの媒体では、多くの方にお届けできる形になりますので、
痛し痒しなところはあります。

そしてですが、今回、提案してみたいのは、
「一人で背負わないこと」です。

脈絡のない感じですが、
相談して前進できるならしてしまうのが賢明です。

特に日本人は我慢や一人で乗り越えることを美徳のように錯覚するのですが、
これは、この国の教育などで培われた観念に過ぎません。

話が反れますが、社長には社長の仕事があります。

ビジネスの世界では、誰にでもできることを社長がやってはいけない、
とも言われたりします。

もちろん、身をもって苦楽を共にするのは良いことですが、
そのために会社や社員の成長が鈍ってしまうのでは困りますよね。

不得手があるなら得手な者に頼んでこそ、バランスも取れます。


人それぞれに得意・不得意、特徴があるように、人生もそれぞれです。

既存の形に添わないことが脱線でも脱落でもありません。

むしろ、人と違うからこそ自分なのです。


満員電車が苦痛と感じたら、
それだけでも立派な自分らしさでもあります。

では、どうなれば苦痛でないのか。

そんなことを諦め抜きで、世間抜きで考えてみることで、
次の一歩が見えてくるものです。

考えたけど、それは無理で終わりにしないでくださいね。

どうなりたいかがあることが、劇的な変化への導火線になるのですから。

皆がそうだからで終わりではありません。

他人ではなく、自分の人生を生きているのですから、
自分だけの「らしさ」は手放さないで頂きたいと願っています。

自分だけの、自分らしさのヒントは身近なところに散りばめられています。

そんな小さなピースを拾い集めてみてください。

それが形になり始めたら、思わぬところに援者がいたりしますので、
遠慮なく、助けてもらいましょう。

それが、貢献です。

あなたが誰かを助けることだってあります。

貢献は私たちのミッションですが、
特別なスキルや資格を必要とするのではありません。

得意なことを持ち寄るだけで良いのです。

あなたが待つ人も、あなたを待っている人もいます。

うつむいた顔を上げられるときが貢献の始まりです。


自分のために、そして誰かのために前進していきましょうね。


それでは、今回も一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。


閉まる扉と開く扉 [日々の気付き]


みなさん、こんにちは。

前回は「海山」なお話しでしたが、
私達はよく「対比」をしますよね。

過去と今(未来)もそうですが、
あっちとこっちでも何かと比べてみます。

そして、多くで共通しているのは「不満」と「満足」です。

往々にして、不満が募る場合に比較を持ち出すのですが、
当然のことながら「あとのまつり」です。

「あーすれば良かった」とかね。

その反対に勢いに乗っている時などは、
振り返る機会も少ないものです。

「春の私」のように辛かった時分を思い出して、
今や過去の経験などに感謝するのは、落ち着いていればこそです。


さて、今回の「扉」ですが、
簡単に言うと、ピンチの時にもどこかに光があるみたいな感じです。

あるいは、転職されたりする方であれば、
前の会社と今度の会社でもよいでしょう。

何かが終わると何かが始まるのです。

これは人生の中では、ずっと続きます。


ただ、冷静に見ていられないのはよくあること。

ピンチで心の余裕のない時に、

「なるほど、あれがあるな」なんて思えないものです。


そして、半ば、やけっぱちになった頃に、
視野が広がったりして、見えてきたりします。

まあ、選択肢としては既に存在していたりしますが、
受け取れる状況にないのです。


ただ、見えていてもピンとこなかったりするのは、
必ずしも「一発打開策」でなかったりするからです。


例えば、バスや電車を例にしますが、

目的地に行く電車などに乗り遅れた(欠航)したとします。

他の路線でも代替えとなる「直行便」がない・・・

この時点で「終わった」などと思ったりしますが、

「何とかしなくては」と考え直すと、
乗り継ぎや他の交通手段が浮上してきます。

「同じ土俵」で考えてしまうと、
行ったものは戻らないわけですから、しばらくは後悔などで頭が一杯ですが、

苦肉の策へと思考が広がると、
色々な選択肢が出てくるのです。


まあ、元々、「乗れなかったら他で・・」と思えていれば、
実際もショックは小さくなります。


開くと閉まるだと、何かピンポイントな感じですが、

閉じかける頃には、開き始めるという感じですので、
「駄目ならば他で・・」という心持ちがあれば、

意外と開く扉があることが当たり前に思えるものです。


ただ、1に対して必ずしも変わりの1があるとせず、

0.5+0.5=1だったりもするので、

柔軟な視点を持つことがポイントになります。


さらに、ポイントになるのは、
前々から視野を広げておくことです。

保険ではありませんが、事が上手く進んでいる時でも、
心の余裕という意味で、「駄目なら他がある」くらいが良いです。

こう言うと、駄目前提では?と思われるかもしれませんが、
心の余裕があれば、それだけ高い波動も維持できるわけで、

結果的に、更に上手く進むことに繋がります。

要は「これしかない」と執着してしまうと、
窮屈になりやすくなるので、

如何に「心の安定」を維持するかが問題になります。


心の安定は、一旦加下降すると上げるのが難しくなりますので、

普段から、「色々な可能性がある」ということを意識していてくださいね。


勿論、良い流れにある時は遠慮なく乗って行ってください。

大切なのは「心の安定」と可能性の存在を知ることです。


困ったな・・と思えたら、意識して「開く扉」を探してください。

「捨てる神あれば拾う神あり」とも言いますよね。

神様は、あなたを「諦めません」ので、しっかりと覚えていてくださいねww


それでは、一滴追加です。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。






人間ですから比べてしまいますよ [日々の気付き]


みなさん、こんにちは。

新年度の環境の変化などには慣れてきましたか?

まだまだという方は普通ですよw


今回は、これまでにもお話している「慣れ」などを含めて、
その根本にあるもの「比較」について話してみます。

まあ、説明するようなことではないのですが、
気持ち一つを取っても、何かと比較しながら良し悪しを判断したりするものです。

感じることをストレートに受け取れれば良いのですが、
社会で生活する上では、そうもいかないものです。


例えば、新年度の環境の変化もそうですが、

「今まで」と比較することで「慣れない」ことを認識したりします。

更に、その比較も「都合の良さ」や「心地良さ」に基づいているので、
「前より良い・悪い」という答えを導いてきます。

勘違いしてはいけないのは、これが悪いことではないということです。

私達は「もっと良くなりたい」と願っているのですから、

「何よりもっとなのか」ということになりますよね。

こんな感じです・・

「不遇の今よりも・・もっと良く」

あるいは

「今も幸せだけど・・もっと良く」

何れも「比較」しています。


こう考えると、比較なしというのは到底難しいです。

お釈迦様レベルなら別ですけどねw


問題なのは、比較の仕方なのですが、

「より良く」が健全です。

「今も良いけど・・もっと良く」には否定がありませんから、
波動の低下がありません。

よって、引き寄せるものにも「嫌なもの」が無くなります。


一方、極端な例ですが、「今は最悪」と比較してみます。

ちなみに、二つの分かれ道がありますので、注意しましょう。


まず1つ目は、

「今が最悪」だから、あとは何が変わっても上向きしかないです。

これは「どん底」にあって、開き直っている場合ですから、

実は、強烈な手放しを実行しますので、急上昇も見込めます。


もう一つは、

「今よりもマシになれば」です。

マイナス10がマイナス5になれば良いみたいな感じで、
一見、前向きではあるのですが、

マイナス局面とか、「底辺レベル」での推移を目論んでしまうと、
そもそも、0地点がどこにあるのかも分からなくなってしまいます。

「負のループ」から抜け出せない場合などがそうです。


この二つの違いですが、どちらが望ましいかは言うまでもありません。


しかしながら、分かっていてもどうにもならないものです。

だって、それが出来れば当ブログとは無縁ですよね。


勿論、私も例外ではなく、むしろ、あなたよりも重症の時があったと思います。


では、どうやって「今」に至っているのか。


私の場合は、他の記事でも書いたとおり、「どん底」を味わいました。

幾度となく「ここがどん底」と思いながらも、
「下には下」がありました。

初体験するのですから、ここが「底」というのは分からないわけで、
仕方のないことですが、

とうとう身動きが取れなくなったことで、
何の説明も要らずに「底」を認識できました。

文字通りに身動きが取れないのですから、
表現はできませんが、

分かりやすく言うなら、「選択の余地」でしょうか。

選択は「常にある」と言っていますので、矛盾を感じるかもしれませんが、
ここでは便宜上の言葉としてください。


私の場合、経済的な危機から「底」に至ったのですが、

金策に走るにも「これが良いかな」とか、
「これは嫌だな」なんて考えているうちは「余地」があったわけです。

既に「どん底」と思っていたのですけどね。


それが、出来ることは何でもしなくてはダメだになり、
「これは嫌だ」なんてことを考える「余地」がなくなりました。

正に「どん底」です(涙)


寝る前に「一日をリセット」なんて、キレイごとです。

というか、眠れなくなりますし、
浅い眠りから覚めた「瞬間」に、破たんの恐怖が襲ってきました。

毎日、毎日、ずっとです。

気が紛れるのは「仕事中」だけ。

といっても、「どうにかなるかも」と「ダメだ」を
四六時中、行ったり来たりです。

仕事が終わったり、離れている時間では、
常に恐怖に支配されています。

よく考えると、仕事も焼石に水で、
お金を工面しきれるものではないのですが、

それでも、その瞬間は「出来ることをやっている」状態なので、
「行ったり来たり」になれるわけです。

もう、お分かりのように「マイナス状態どっぷり」です。


でもです、お気付きかもしれませんが、
身に付けるべきことが網羅されています。

足りる足りないではなく、「出来ることをやる」ことで、
気が紛れたりすることには、

「出来ることをやる」という、幸せになるために欠かせない学びがあります。

そして、「どん底」での開き直りです。
どうにもならないことで、全てを手放した状態にもっていかれる。

好みや損得勘定があるうちは、何をやっても邪道だよとの、
メッセージが隠れていると思います。


だからといって、あなたに「どん底」を味わって欲しいのではなく、
私の経験から、「早めに」、「出来ること」から始めて頂きたいのです。

はっきり言って、あんな思いは誰にもして欲しくありません。
・・自業自得ですが(涙)


余裕があるうちに、次のステップに進む。

これは、幸せや成功を手にする鉄則です。


余談?になりますが、

私は「どん底」に陥ったことに安堵した部分があります。

強がりとか負け惜しみではなくです。


私は、今回の人生の目的について調べたことがあって、
知人の伝手を辿って、アメリカの著名なサイキックや、
アガスティアの葉、創造主(神様・宇宙など解釈は自由)からのメッセージなど、

スピリチュアルに興味のある方なら、
これ以上はないのでは?というコンサルを受けたのですが、

その中で、お金についてなら「ない状態も」経験すると宣言されていました。

ただ、「ない状態」を都合良く解釈していて、

「ほどほど無い」を経験すれば「上向く」と思っていたのです(汗)

でも、違ったわけです。

真の「無い(底)」を言わんとしていたのです。


勿論、これは「後談」ですので、
底の真っ只中にあっては、そんなことを認識する余裕はありませんでした。

考えることと言えば、「あの時こうしていれば・・」のオンパレードです。

マイナス局面で、負のスパイラルの中で、
後悔と比較を繰り返し続けていました。

ただ、あの経験があったからこそ、
こうしてお話しができているわけですし、

こうお伝えすることが「すべきでなければ」、
当ブログも存在していないはずと思います。


そして、「真のどん底」に至ったことで、

「これで上がれる」という、とても小さな「灯」が見えたのです。

それは、心のどこかで、良くなるためには「どん底」を体験しなくては・・

という、思いがあったのかもしれません。


だから、都合良く「良くなろう」と思いつつも、

どん底を引き寄せたのかもしれません。


良くなるための条件として、辛いことを避けられないと決めつけていた。

本当は、「別の道」もあったはずですけどね。

だって、人生は選択の連続ですから。


如何ですか?

またしても、話が私の「失敗談」にそれてしまいましたが、

比較なしが無理でも、「仕方」は意識してください。

比較の土俵を選んでください。

舞台下ではなく、舞台の上で比較してください。


良い部分を見つけて、「より良く」にスポットを当てる。

今が不遇なら、前より上向いていると思える比較が良いです。

現実的としながら、底辺レベルで「どっちがマシ」では、
光が見えてきませんよね。

例え、現実とのギャップが大きくても、
「どうなりたいか」は捨てずにいてください。


おそらく、どん底にあっては、難しいでしょう。

ならば、「ずっと、このままではない」としてください。


事実、私達は日々、変化しています。


細胞も数か月で生まれ変わっています。

普遍の法則からは外れられないのですから、
嫌でも変化します。


あとは、「今と違う」ことを許容する勇気を持って受け入れること。


どん底から「否応なく」なのか、

下り坂の途中で腹を括って受け入れるか。


どちらが「楽」かは、もう言う必要はないでしょう。


ただ、比較を甘えに繋げてしまうと、
残る選択肢がキツイものになりますので、ご用心です。

なんだか、子供に言い聞かせるような内容ですが、

年端も、性別も、優劣も存在しない、

人生は学びの場ですので、気付いた時が「最適」です。



でも、あなたは「最短」で良くなってくださいねww


いやあ、また思い出しただけでゾッとしましたが、

この時期は、過去を思い出す「トラウマ期間w」ですので、

お役に立てれば幸いです。


そろそろ、明るい話題で攻勢を掛けようと思いますが、
辛い時こそ、安心したいものですよね。

誰もが好調の波に乗っているなら、当ブログの需要はなくなります。

なので、これでもか!?な感じで「自分だけではない」と思って頂けるような、
体験談や立ち直りのヒントをお伝えし続けますよw

当「春記事」は、辛くなったら読み返してくださいね。


それでは、また躓きから立ち上がっていきましょうね。

引き寄せは常に作用しています。

人生の舵取りをすれば、自分らしい人生が待っています。

それが宇宙の法則です。

舵を手放さない限り、抗うことは出来ません。

追い風も逆風もありますが、
状況に左右されない「自分の望み」に従って舵を持つこと。

是非、お願いしたいと思います。



それでは、一滴追加です。

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。




























自分がいる世界 [日々の気付き]


みなさん、こんにちは。

最近、声による自分の確認などをお伝えしていますね。

今回は更に派生して「自分がいる世界」です。


自分がいる世界はどこですか?と聞かれる、
結構、答えに窮します。

抽象的な質問のせいもありますが(汗)


自分がいる世界は・・現実世界?などしか答えがみつからないかもしれません。

あるいは、場面や環境ごとに「世界」と名を打つこともあるでしょう。

何も「どれか一つが正しい」ではないので、
色々な世界に身を置いているとしてみますが、

その中でも、一番長い時間、身を置いているのは、「自分の世界」だと思います。

誰の世界でもなく、自分の世界です。

「世界は自分のもの」では語弊がありそうで、エゴたっぷりな感じですけど、
ある意味正解だと思います。

現在の自分の人生のステージが「この世」であるわけで、
しかも、誰のものでもない自分の人生を歩いているわけですから、

そのステージも自分のもので良いと言えます。

くれぐれも、世界を我がものに振り回すではありませんよ。


さて、この自分の世界ですが、
本来、他の影響を受けるか否かも自分の選択に委ねられるので、

どんな状況にあっても、それは自分から発信した結果のことになります。


少々、厳しく聞こえるかもしれませんが、
人生は選択の連続で構成されているのですから、
大元は自分にあるのです。


そして、どのような世界を構築するかに関わるのが、「解釈」です。


先日お伝えしたように、野球の試合も応援する立場などによって、
「見え方」が変わってしまうのです。

同じチームを応援していても、
勝敗の感じ方さえ、他とは違う唯一無二のものとなります。


自分の世界にいるのですから、
自分の解釈に正しいも間違いありませんが、

我々は、都合の良い解釈を採用できないことが多々あります。


ある事に対して、悔やむことも出来れば、
次に繋げる起爆剤にすることも出来ます。

どちらが得策かなど言うまでもないことですが、
そのとおりに出来ないものです。

ただ、好まない解釈を野放しにしてしまうと、
主役不在の舞台を作り上げてしまいます。

この連鎖はとても怖いもので、解釈が事実にすげ変わり、
根拠のない思考や妄想が全てになってしまいます。

結果、夢や願望の存在を否定したり、
起こってもいないことの結果を「でっちあげ」てしまったりします。

やりもしないで諦めるのはこのパターンですよね。

動けないのも同じです。

動いて上手く行くことが分かっていれば、
止められたって動きます。

しかしながら、好ましくない「解釈+妄想」の連携によって、
最初から結果を想定してしまいます。

それでも、希望はありますから、解釈妄想と覇権争いをするのですが、
未知の不安が加勢して、希望は負けてしまいます。

それでも、捨てきらない希望の灯・・・

当然です。

だって、希望が人生に直結しているのが
魂のシナリオなのですから。


冒頭で解釈に成否はないと言いましたが、
自分らしい人生に、好まない解釈は不適合なものです。

なので、気を付けたいのは、
自分に相応しくない思考や観念やそれに由来する解釈が、
知らずのうちに身に付いてしまっているということです。

では、それを是正しなくては・・と思えれば良し。

しかしながら、そこですら、好まない「解釈+妄想」が働けば、
「治らないよ」で終わりになってしまうでしょう。


以前、妄想のススメをお伝えしましたが、
心地よい妄想でなければしないほうがマシになります。


今までの解釈がダメ基準でも仕方ないとしますが、
せめて、妄想ぐらい心地良いものにしたいものです。


誰に訴えるでも迷惑を掛けるものではなく、
自分の希望を温めるために想像力を駆使しましょう。

叶う叶わないのジャッジは要りません。
心は自由なのですからね。


一番長い時間を過ごす「自分の世界」なのですから、
誰に遠慮するでもなく、居心地の良い世界にしてくださいねw



それでは、一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。









自分の声はひとつにあらず・・自分チエック方法 [日々の気付き]


みなさん、こんにちは。

今回は、前回からの派生で「自分のチエック」についてです。

正確には、自分の状態のチエックですが、
鏡で見た目とかではなく、内面のことです。

まあ、鏡の前に立っても表情の違いは確認できるのですが、
今回は違ったアプローチです。


これは私の場合なのが、

私は、当ブログをはじめとして、
各媒体への投稿に感じることを優先しています。

仕事柄、段階を踏んだ情報の伝え方を意図することもありますが、
スピリチュアル関連の記事を綴る際は、感じることを記すのは欠かせません。

とはいえ、いつもパソコンを開いているわけではありませんし、
パソコンの前にいるときに感じることだけでは、物足りないものです。


そこで、以前は、「メモ」を取っていました。
メモといっても、ペンと紙を取り出すではなく、
携帯電話などにメモするわけです。

どこかに行ったときに感じたことや、
移動の際に、ふと降りてきたことなどを書き留めてみるわけです。

本来は、「その場で投稿」が良いのかもしれませんが、
メモしたものは見返したときに、感じるものをピックアップしていますので、
クリップしたものすべてが記事になるわけではありません。

そんなスタイル?の私ですが、
あるときから「声」でメモを残すようになりました。

理由は、ボイスメモのほうが、簡単で早くて正確だからです。



以下、長く?なりますww


突然ですが、あなたは「自分の声」を聞いたことありますか?

声とは、肉声のことですが、マイクを通したり、録音などされたものです。

自分の声というと、「内なる声」を連想しそうですが、
今回はリアルな声、肉声です。

話しながら聞こえてくるものではなく、
記録された声を聞く機会って、

ありそうで、ないかもしれませんよね。


私は会社員時代にも講演やスピーチなどで自分の声を聞いていましたが、
当初は、嫌で嫌で仕方ありませんでした。

マイクを通じて「聞こえてしまう」のですが、
自分の声が嫌いとか、コンプレックスではなく、
なんだか気持ち悪い感じがしていたのです。


それが、手前みそですが、「声の評判」が良かったりして、
お褒めを頂いても、謙遜ではなく「実は嫌でして・・」などと言っていたのですが、

ある方から、「自分の声を聞くといいですよ」と言われました・・会う度にです。

??だったのですが、周波数みたいなものを褒められて、
「売り」としての財産として捉えなさい、なのかと思っていましたが、

要は、心理学的にも「自分の声を活用」すると、
内面へのアプローチに効果的ということで、

人に心地よさを与えるのだから、
自分自身には、もっと効果的ということなんですね。

とはいえです。

今となっては率先して活用していますが、その時は「できない相談」でしたw

しかしながら、嫌々ながらも試してみると、
慣れるまでに時間は掛かりませんでした。

最初は記録用のビデオを見ながら、
修正点などをチエックしていたのですが、

「嫌感」がなくなると、ボイスメモなどに活用し始め・・
ある時、気付いたわけです。

声に表情があったり、その時の自分が全て詰まっていることに。

これは、感情抜きの単なるメモとして残している声を
聞き返しているときに感じたことです。

感情がないのに、その時々によって「何かが違う」わけです。

それが気になって、記憶を辿りながら思い返してみると、
確かに色々な状況や心持ちが隠れていました。

それ以来、「声を貯める」ようになり、
今では、環境や置かれている状況などに影響を受ける思考や意識よりも、
正確に「自分の状況」を把握するツールになっています。

「声は全てを知っている」です。


もし、あなたが「自分が分からない」状態にあるなら、
ぜひ、「声を録る」ことを試して頂きたいと思います。

自分記録という点でもお勧めです。

今流行りの「自撮り」でも良いですが、
用途のあるなしに関係なく携帯電話などで、ふと思ったことや、

定番の文言を、その時々で録音しても良いと思います。


自分は何者ぞ・・が分かるほどではないでしょうけど、
声の波動は分かるはずですから、

何が好ましくて、何が好ましくないかを探る手段になります。


よく、心の機微を日記で綴ることが推奨されますが、
声の日記なら、更に強力な自分記録になります。

良い状態の声を聴けば、その時を想起しやすくなりますから、
マインドセットがしやすくなるでしょう。

何かを自分に言い聞かせるのも、
他人の声よりも自分の声が浸透し易いですからね。

良質な音声教材などに、波動を意識しているものがあるように、
音には文字には出来ない浸透を促す力があります。

私もこうお話していることで、
当ブログの文字を違う形で表現できればと考えていますw


ですが、まずは「声」よる自分のチエックを提案したいと思います。

小さな試みですが、これも自分表現の立派な手段です。

内気な性格でも、周囲を気にしてしまう性分でも、
問題なく自分らしさを表現できる舞台になります。

いかがですか?


たった一言でも、日記でも、

思いの丈を綴るものでも構いません。

そこにいる自分を外から確認してみることをお勧めします。


きっと、気付いていない一面を発見できると思います。


聞き返すことに抵抗があっても、残すことは容易いもの。

ぜひ、録り貯めてみてくださいねww


それでは、一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。










成功ノウハウのからくり?・・再び [日々の気付き]


みなさん、こんにちは。

今回は、以前にも取り上げた「成功本」についてです。

先日、知人が開催したセミナーに顔を出した時のことですが、
相変わらず、成功ノウハウって結果が出にくいな、感じたので、
改めて取り上げたいと思います。

セミナーは、起業を志す方向けのものでしたが、
参加者の質問の中に、書籍を参考にしているけど、
結果が出ない、実践できない(継続できない)という意見がありました。

それも、一人の方の発言で、堰を切ったように挙手が相次ぎ、
以前として多くの方が悩んでいると感じました。


そんな役に立たない?成功本ですが、相変わらず出版が相次いでいます。

読者のレビューなどをみても、☆が羅列されていますので、
読者個人の主観とは言え、安易な商業主義的な書籍が淘汰されながら、
残対的な内容の質は上がっているのだと思います。

しかしながら、依然として95%の「実践者」が成功に至っていない言われます。

数値等の信ぴょう性は担保できませんが、
多くの方が「言う通り」になっていないのは察しがつきます。

良書を参考にしているのに、結果が出ないとしたら、
端的に実践者の問題と解釈してしまいそうですが、

実は、ここが問題なわけです。

あなたにも経験があると思いますが、
「言っていることは分かるけど・・」というものです。


非の打ちどころのないような教えを話すのは、
誰にでもできることですよね。


ただし、崇高な教えであっても、実践者目線で導くようなものでなければ、
無用の長物と同じです。

悲しいのは、そういったものが依然と多いことですが、
成功系の書籍のスタンダードが、「導き」から「安息」へと
すげ変わっているように思えます。

「これをやれば上手くいく」という教科書ではなく、

「これを読めば安心できる」のような錯覚です。


要は、悩みなどの解決を目的とするのではなく、
「大丈夫」を伝えているかのようです。

勿論、意図したものではないでしょうが、
何か、右へ倣え的な「現状維持」=大丈夫だよ、といった無難な説得です。

一方、神との対話やバシャール系の本のように、
創造主等との「やりとり」を伝えることを主立てているものなら、
考え方を説いているので、理に適っています。

読者の要求に関わらず、著者の意思を満たしているわけです。

しかしながら、手法を伝えるのであれば、
実践可能であるかや再現性を無視することはできませんし、
謳う以上は、結果に導く必要があります。

とはいえ、人それぞれに悩みや背景など、ケースが違いますので、
何れにせよ、読み手のアレンジがなければ実践はできません。

このアレンジの必要性は、ある意味で一番重要な部分ですが、
おそらく、「成功者」であろう本の著者が、
目線を下げることができていないように感じます。

だから、温度差が生じてしまったり、
そもそも、「理想論だよね」と実践以前に諦めてしまうのです。

本来、成功ノウハウは伝えるだけから、
実際に結果を出させることを主眼とするべきなのですが、

なぜか、未だに踏み込めていないのが現状です。

変な話、良かれと思って手にした本が、
背中を押してもくれず、自分と正論とのギャップを再認識して、
人生に興冷めしてしまう人もいます。

私も同様の情報を発信していますので、
お前もだよ、と言われてしまうと悲しい限りですが、

当ブログでは、狭いカテゴリーの中を、
ひたすら繰り返しながら綴っています。

先へ先ヘが目的ではなく、
ある部分までの脱落者を減らすことを目的にしているわけです。

具体的には、「引き寄せの初歩の躓き」なのですが、
同じことを言い方やケース事例を変えながら、
ひたすらお伝えしているのです。

読者の方の中には、「まんねり」のように感じる方もいるでしょう。

実際にトレンドなどを持ち出しながら新鮮さを意識していませんし、

誰にでもある日常の中からテーマを見つけているので、
狭い部分での特化を意識しています。

なので、当ブログから得るものは汲み取れたと感じたら、
卒業して次のステップに進んで頂けるのが本望の一つでもあります。


話が反れましたが、成功本で上手くいかないときは、
内容を鵜呑みにするのではなく、
「自分の場合は?」という置き換えが必要です。

この部分を避けてしまうと、
どんな良書も結果へ導くツールになりません。

とはいえ、新たに手にした本が、他と同じ知識や情報と感じても、
必要なことは自分の身になるまで形を変えながら巡ってきますので、
深く浸透させることに無駄はありません。

例えば、「あれ、これ前にも読んだよ」というものがあれば、
身に付ける必要があるのに、まだ身に付いていないのかもしれません。
だから、また廻ってきたと解釈するのが良いでしょう。

「本当に分かっている」と「分かっているつもり」の差は大きいです。

蓄えた知識が、自然に応用できるようになること、
それが、身に付いている、です。

こう話すと、「反復の積み重ねか」と思われるでしょう。

実際、そうなのですが、一方で、

「もう、飽きてきたよ」と感じたりもしますよね。

そんなときは、「離れる」べきです。

今、最優先で注力することが他にあるとの暗示です。


自分では、順序立てているつもりでも、
内面の自分は、そうではないものを欲しているため、
集中できなかったり、疑いを持ったりします。

それを「駄目な自分」とか、「役に立たない情報」として処理せずに、
他に優先することがあるのだと解釈して頂くのが良いと思います。

先にも述べましたが、成功ノウハウは、
安心材料としての位置づけが強い気がします。

「上手くいかない自分でも大丈夫なんだ」です。


勿論、それが間違いではありませんが、
そこで安心して終わりでは、当然のことながら前には進めません。

必要なのは、「大丈夫」という安心感を支えに、
次の一歩を踏み出すことです。

その一歩は、高尚なものではありません。

手にした本について「こんなの出来ないよ」とか、
「理想でしょ」と感じてガッカリするようなら、

そもそも、今は必要のない話であり、
それよりも、いつもと違う自分を試すほうが、
書籍代の何倍もの価値があります。

まとめてみますと、成功系の書籍は「面倒」を見てはくれません。

あくまでも、提案の域を脱しないものとして捉えるのが肝要です。


そして、新たな本を読むことが、
「安心材料」になっていないかを問うてみてください。

「これを読めば変われます」は厳しいです。

相変わらずのセールスワードですが、
「変われない人」は減っていません。

まあ、自分が動くことで変わるのが基本ですから、
動かない前提で、本を漁っているなら、
欲しいのは「現状維持の肯定」かもしれせん。

もし、成功本に依然とてしっくりこないものがあれば、
一度、知識集めを止めて、既にある知識を思い返してみてください。

要らぬガッカリ感を演出するために、
新刊に手を伸ばすのは勿体ないこと。

既に、十分な情報を持っている場合は多いです。

足りなければ、乾いたスポンジのように情報を吸収しますし、
その過程も楽しく感じられるものです。

少なくとも、うんざり、がっかりはしないです。

今回は、視点を変えて、
成功本に感じる思いに目を向けると良いかもしれません。

自分の現状分析のツールとしての「本」の役割。

本の内容に失望しそうになったら、
何を期待してしまったのかを調べてください。

くれぐれも、気分の下降に直結させないようにお願いします。

成功ノウハウについては、また取り上げてみたいと思いますので、
あなたなりの「疑問」があれば留めておいてくださいね。


それでは、一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。







がっかりすること [日々の気付き]


みなさん、こんにちは。

いよいよ、四月ですね。
新年度で心機一転とかあると思いますが、当ブログはいつもどおりですw

さて、今回は「がっかりするとき」ですが、ありますよね?

何かに期待をして、それに結果が見合うか否かが分かれ道なのですが、
要は、自分の思惑に沿うかどうかで「裏切る」ものに「がっかり」します。

最近の私のことでお話するなら、スパムメールでしょうか。
こういった区切りの時期などにも多くなるのですが。

あなたも、パソコンなどでメールを使用していると思いますが、
メールマガジン等に登録すると、定期的に情報が入ってきますよね。

この登録ですが、信用に値するものとか有用なものを選んでいると思います。

私の場合、情報入手用のアドレスを用意していて、
真摯なものを、文面などから推察しながら登録していますが、
その点は一緒だと思います。

こうして、「選定」しているのですが、
先日、スパムトレイに「ゴミ」が多いのに驚きました。

そもそも、スパムメールはお決まりようにやってくるのですが、
厳選した相手(メルマガ等)を登録しているにも関わらず、
迷惑メールがやってくるわけです。

何かの売り込みだったり、怪しいものばかりです。


これって、知りえないはずのアドレス(私は複雑にしてあります)に、
送信してくるのですから、要は「アドレスが漏れている」わけです。

では、どこから漏れているかといえば、
「登録」してあるもののどれかになります。

「せっかく?信用したのに・・」で、がっかりします。


とはいえ、表面上のメルマガ文面では、真面目を装っているのですから、
大っぴらに怪しいものよりも質が悪いです。

なので、がっかり感もより大きくなります。

私も情報発信している身ですが、
本当に信用できるものは少ないなと思ってしまいます。

騙してやろうとかの意識はなくても、
商売がかった魂胆があるのは明らかでしょう。

少なくても、信用して頂いたアドレスの管理ができていないのは、
悪気はないからと許されるものではありませんし、

信用してくれていることを軽く扱っていると思います。


まあ、「信用するからいけない」といえば、それまでですが、
信用第一という言葉だってありますからね。

世の中から信用がなくなったら・・ゾッとしますよね。

そもそも、私も一方的な期待はしませんし、
人それぞれという考えを持っていますが、

素朴に?がっかりします。

あなたは、最近、がっかりしたことありますか?


あれば、それが過度な期待によるものか、
それとも、相手などの故意や悪意によるものか。

その辺を見極めてみると、
余計ながっかり感を減らすことができるかもしれません。

とは言っても、何も誰も信用しないになると、
それは、自分すらも信用していない可能性もありますので、要注意ですし、
自分以外は信用しないと決めてしまうのも悲しい限りです。

何が信用できて、何が信用できないかは判断が難しいところですが、
少なくても、色々な展開があることを容認する度量を持ちたいものです。

なんだか、自分にも言い聞かせている感じですが、
当ブログはあなたの信用頂いて綴れていると思っていますので、
今後とも、よろしくお願いしますねw


それでは、今回も一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

節約の勘違い [日々の気付き]


みなさん、こんにちは。

突然ですが、あなたはお金を潤沢に持っていますかw?

私の相談者さんの中でも経済的な問題を挙げる方の多くは、
「足りない」という方です。

そして、決まって「切り詰めて節約しているけど・・」と言われますが、
節約が仇になって反動を呼んでいるケースが多いです。

ここで、勘違いしているのは、「切り詰める」ということです。

何でもかんでも節制するのが節約ではありませんよね。

「節」とは節目ですから、お金の使い方に折り目を付けることで、
節約に繋がるわけです。

端的に言うなら、使い方を見直すで良いのです。

基本的に生活する上でお金を使わないのは不可能なわけですから、
まずは使い道を変えることで解決へ進むようにするべきでしょう。

無駄遣いがあるなら、しっかりと自覚する必要があるのですが、
何が無駄かは人それぞれです。

テレビなどでも倹約一家の生活を紹介することがありますが、
それをそのまま真似てみても、おそらくは失敗します。

重要なのは、自分のスタイルです。

例えば、豪華?な食事も、
「空腹を満たせれば良い」という考えのもとなら無駄遣いです。

一方、「褒められて伸びる人」からすれば、
頑張ったご褒美としての豪華な食事は不可欠かもしれませんので、
無駄遣いにはなりません。

それから、私が一番危惧するのが、「自己投資を節約する」ことです。

前述の食事もそうですが、自分のエネルギーになるものや、
成長を助けるものには投資を惜しんで欲しくありません。

何の足しにもならないことに使うお金を減らすことが節約です。

何の足し・・は判断が難しいかもしれませんが、
それがあってもなくても変わらないならば、
十分な経済力を得るまでは控えても良いと思います。

ポイントは、お金を使う際に、
それがどう自分のためになるかを確認することです。

「これを買うと、自分にこんなメリットがある」と確認します。

メリットとは「お買い得だから」とか「あればいつか使う」ではありませんし、

「アイテムが増えて満足」でもありません。

もちろん、何かを成し遂げた「ご褒美」なら別ですが。

ここに「投資」することで、何が自分のためになるかを考えることで、
お金を払う前に一呼吸置くこともできますよね。

物への支払いではなく、光熱費などの場合なら、
電気代の抑制が夜更かしの防止に繋がるかもしれませんが、
寒さに震える我慢を要するなら、少し違う気がします。

水道代なら、朝のシャワーを止めれば節約になるかもしれませんが、
私の場合、朝のシャワーはインスピレーションを受け取るための、
大切な時間です。

自分にとって、必要のないものを削るのが節約ですが、
必要なものまで削ると成長の妨げになってしまいます。

ただ単に、出費を抑えようではなく、
必要なものとそうでないものを確認する必要があるときに、
「節約」という言葉が降りてくるのではないでしょうか。

毎月、クレジットカードの支払いがあることが、
普通になっているかもしれません。

「いつものことだから」という落とし穴に気付く。

あるいは、「いつもの収入」が、あなたの居場所ではないとの暗示かもしれません。

お金が足りない⇒節約、は一過性の解決策の場合もあります。

節約が必要と感じたら、根本の問題がどこにあるのかを
問い掛けてみる機会かもしれません。

そして、「必要な投資」を考慮しつつ、
どうやっても解決を見ないなら、
新たな道へシフトすることへの気付きを誘発しているのかも。

もし、あなたに節約を必要としているなら、
自分を苦しめる切り詰めの前に、

お金を使う際の感情を、
今居る場所がフィットしているかの確認をしては如何でしょうか。

当たり前の日々の生活の中にある気付きの機会を
有効に活用してみてくださいねw


それでは、今回も一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。








なぜ・どうしてを濫用すると [日々の気付き]


みなさん。こんにちは。

私はニュースを観るようにしているのですが、
一つ素朴なことに気付いたのでお話してみます。

日々、色々なニュースが報道されますが、
中には不可解なものや疑問などがあります。

多くは、事の背景が分からないことに起因したりするのですが、
今回、取り上げたいのは事柄ではなく、

「なぜ?」、「どうして?」という言葉についてです。


どちらも、事柄の真意や未開な部分への疑問や、
更なる情報を欲する際に使っています。

探求心の顕れとも言えそうです。


私もそうでしたが、探求は良いのですが、
自分にとっての災いや失敗などについては、
堂々巡りの必須キーワードになってしまいます。

反省するために、次繋げるために、
修正点を明らかにするのは健全な使い方ですが、

自分苛めの道具として、ネチネチするのは如何なものでしょう。

「後悔先に立たず」と言いますが、
反省はしても後悔はお勧めできません。

少なくても、「やらない後悔」よりも「やった後悔」のほうが良いです。

反省や確認を行うために、

「なぜ、そうなったのか」

「どうして、そうしたのか」

と検証し、明らかになったことを受け入れるなら、
大きな財産になります。


しかしながら、終わったこと、過ぎたこと、そのもののジャッジを続け、
自分の非を甚振る「導火線」として乱用すると、

エネルギーの浪費と可能性の封印に直結します。

さらに成長の妨げにもなりますから、
使い方次第では百害あって一利なしです。


これは、真面目な方に多く見られるのですが、

「あの時、どうして・・」と思い続けても、
「あの時」は二度と戻っては来ませんよね。

問題は「今度はこうしよう」ということです。

なぜ?どうして?と問いかけて検証したら、
「では、こうしよう」と意識を先へ投資するべきでしょう。

過ぎたるは及ばざるが如し、というか・・大マイナスです。

極端に言うなら、「なぜ」も「どうして」もいらないかもしれません。

後ろを振り向かずに前だけ見ていられるなら要りません。

でも、そんな人がどれだけいるでしょうか。

願望に向かう姿勢がお手本のように出来ている人にも、
必ず、立ち止まる機会が用意されています。

それは小休止の意図もありますし、
現状までの検証の機会でもあります。

そんなときに、「なぜ?」、「どうして?」と
自分に問い掛けることで、これから進むための確認に繋がります。

でも、そこまでです・・繰り返しますが。

深く追求すれがするほど、粗探しの様相を呈していきます。
負のループへと誘っていきます。

起きたことを悔やんだり、追求するのではなく、
ステップアップするための検証を行うのが賢明です。

それでも、癖は厄介なもの。

今までの濫用を直ぐに止めることは難しいですよね。

だから、「では」と締めくくるのです。

なぜ?・・なるほど・・では、こうしよう。ですw


疑問を持つことは大切なことでもあります。

疑問を投げ掛けることで、新しい答えが降りてきて、
また成長できるのですからね。


でも、重箱の隅を突くような自分苛めは直ぐにでも止めてください。

人生の時間は増えません。

この瞬間にもカウントダウンが進んでいます。

与えられた時間を最大限に活用するのが本来の過ごし方です。

学びのために生を受けてきたのですから、
学びを得ることで幸せに繋がります。

なぜ?・どうして?の誤用は、
人生を不自然な方向へと導いてしまいますので、
気を付けて使いましょうね。

少し意識するだけでも楽になるものですw


それから、それから、「では、こうしよう」の効力も忘れないでくださいね。

終わり良ければ・・という締め方も取り入れてみてください。


それでは、一滴追加です。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。











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